株式会社医学書院、NTT株式会社、NTTドコモビジネス株式会社の3社は、2026年4月16日に医療AI情報プラットフォームの共同開発に関する協業基本契約を締結した。
医学書院の代表取締役社長は金原俊、NTTの代表取締役社長は島田明、NTTドコモビジネスの代表取締役社長は小島克重である。3社はいずれも東京都内に本社を置き、医学書院は文京区、NTTおよびNTTドコモビジネスは千代田区に所在する。
本プラットフォームでは、検索拡張生成(RAG)等の技術により医学書院の医療情報を参照しながら回答を生成する仕組みを構築するとともに、当該情報をNTTの大規模言語モデル「tsuzumi 2」に学習させ、純国産LLMの実現をめざす。3社は2026年度内に商用展開を開始し、将来的に300億円の売上をめざす方針である。
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医学書院、NTT、NTTドコモビジネス、純国産の医療AI情報プラットフォームの共同開発に向けた協業に合意
【編集部解説】
このニュースが発表されたタイミングには、いくつもの伏線が重なっています。NTTは2025年10月、純国産LLM「tsuzumi 2」の提供を開始したばかりであり、その時点ですでに「金融・医療・公共」を重点強化分野として明示していました。今回の医学書院との協業は、その医療領域における具体的な「中身」を担うパートナーが確定したという意味を持つ発表だと捉えることができます。
協業の構造で注目すべきは、技術アーキテクチャが二層構造になっている点です。一層目はRAG(検索拡張生成)。これはAIが回答を生成する際に、医学書院の医療コンテンツを都度参照し、その内容に基づいて回答を組み立てる技術で、出典を明確に提示できるのが特徴です。二層目は、その医療情報そのものをtsuzumi 2のモデルに追加学習させること。RAGで足元を固めつつ、モデル自身の医学的素養も底上げするという、いわば「二段構え」の信頼性設計と言えます。
医学書院は1959年から続く『今日の治療指針』をはじめ、約1,200の疾患項目を網羅する治療年鑑や、約2万品目の薬剤情報を持つ『治療薬マニュアル』など、日本の臨床現場で半世紀以上参照されてきた一次情報を抱えています。これは、論文データベースを学習させた医療特化型LLMとは性質が異なる資産です。論文は研究の最前線である一方、現場の医師が知りたい「いま、この患者に、何を処方すべきか」に直接答えるのは、こうした実用書の領域だからです。
医療AIにおいてハルシネーション(もっともらしい虚偽の生成)が許容されない理由は、誤情報が直接、患者の生命に関わるためです。既に2022年には、海外のチャットボットが模擬患者に対し不適切な助言を行った事例も報告されています。RAGによって参照元を出典として提示できる仕組みは、医療従事者が回答の根拠を自ら検証できる環境を整えるという意味で、現場の心理的ハードルを下げる効果が期待されます。
「純国産」という言葉も、単なるナショナリズムではなく実務的な意味を持ちます。海外のクラウド型LLMを使うと、患者情報が国外サーバーへ流出する懸念や、海外法令への準拠コストが発生します。tsuzumi 2は1GPUで動作するためオンプレミス導入が現実的で、院内ネットワーク内での運用が可能です。これは個人情報保護法をはじめ、医療情報の安全管理に関する各種規定を満たす上で大きな意味を持ちます。
一方、競合環境にも目を向ける必要があります。国立情報学研究所などが参画する政府主導の取り組みでは、内閣府SIP第3期において200億文字規模の医療テキストや5億2千万枚の医療画像を活用した国産医療LLMの開発が進められています。また、別途開発された日本語医療LLMが、約70万件の医学論文や約1600万件の医療文書などを学習し、医師国家試験で合格基準を超える性能を示したとの報道もあります。NECと東北大学病院の取り組みも人工知能学会で表彰されています。今回の協業は、こうした「研究主導」の流れに対し、商用ベースで300億円の売上目標を掲げる「事業主導」のアプローチである点が差別化ポイントになります。
将来的に構築が予告されているAIエージェントシステムは、より射程の長い構想です。電子カルテへの記載補助、退院サマリーや診療情報提供書の下書き、レセプト処理の効率化など、医師の事務負担(いわゆる「医師の働き方改革」の核心)を直接削減する可能性があります。さらに「個人ごとに最適な健康管理法の提案」まで視野に入れている点は、医療従事者向けツールから患者向けサービスへと展開する構想を示唆しています。
リスク面で残る論点も明確です。AIの回答に基づき診断や処方が行われた場合の責任の所在(医師、医療機関、AI提供者のいずれが負うか)は、世界的にも未解決の問題です。また、コンテンツの権威性が高いがゆえに、医療従事者がAIの回答を過信する「自動化バイアス」のリスクも懸念されます。出典の明示は必要条件ですが、十分条件ではありません。最終判断はあくまで人間が担う、という運用設計と教育が、商用展開と並行して問われていくことになるでしょう。
【用語解説】
検索拡張生成(RAG / Retrieval-Augmented Generation)
LLMが回答を生成する際、外部の信頼できる文書データベースを検索し、その内容を参照しながら回答を組み立てる技術である。モデル内部の知識だけに頼らないため、出典の明示が可能となり、ハルシネーション(虚偽生成)の抑制にも寄与する。
ハルシネーション
生成AIが事実とは異なる情報を、あたかも真実であるかのように出力してしまう現象である。医療分野では誤診や不適切な処方につながりかねないため、特に深刻な課題と位置付けられている。
LLM(大規模言語モデル)
膨大なテキストデータを学習し、自然な文章生成や対話を可能にしたAIモデルの総称である。パラメータ数が大きいほど一般的に表現力が高まるが、運用コストや消費電力も増大する。
tsuzumi 2
NTTが2025年10月20日に提供開始した純国産LLMである。パラメータ数は約300億で、1GPUで動作する軽量設計が特徴となっている。前身の「tsuzumi」(70億パラメータ)から日本語性能を強化した後継モデルだ。
自動化バイアス
人間がAIなどの自動化システムの判断を過信し、自らの批判的検討を怠ってしまう認知傾向である。医療現場では、権威ある情報源に基づくAIの回答ほど、このバイアスが強く働きやすいとされる。
戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)
内閣府が主導する、府省や分野の枠を超えて科学技術イノベーションを推進する国家プロジェクトである。第3期では「統合型ヘルスケアシステムの構築における生成AIの活用」が重点テーマの1つに位置付けられている。
医療情報の安全管理に関する規定(3省2ガイドライン)
厚生労働省・経済産業省・総務省が所管する、医療情報システムやクラウドサービスにおける患者情報の取り扱いに関する一連の安全管理ガイドラインの総称である。
【参考リンク】
株式会社医学書院 公式サイト(外部)
1944年創業の医学・看護領域に特化した日本最大級の専門出版社。臨床現場で参照される医療情報の発信を担う。
NTT株式会社 公式サイト(外部)
日本の総合通信事業者の持株会社。通信インフラに加え、AI・セキュリティ・データセンター事業を展開している。
NTTドコモビジネス株式会社(外部)
旧NTTコミュニケーションズ。法人向けネットワーク・クラウド・セキュリティと、tsuzumi等のAIソリューションを担う。
NTT版大規模言語モデル「tsuzumi」公式ページ(外部)
tsuzumiおよびtsuzumi 2の技術的詳細、性能比較、開発思想を解説したNTT研究開発部門の公式情報ページである。
【参考記事】
『今日の治療指針 2026年版』(医学書院)(外部)
1959年初版から続く治療年鑑の最新版。約1,200の疾患項目を、毎年新たな執筆者による書下ろしで構成している。
国立情報学研究所(NII)(外部)
日本における情報学分野の中核研究機関。日本語LLM「LLM-jp」シリーズの開発主体としても知られている。
「tsuzumi 2」活用、純国産の医療AI情報プラットフォーム開発へ(ITmedia)(外部)
本協業の発表内容を整理した記事。商用展開時期と300億円の売上目標、二段構えの設計に触れている。
NTTが純国産LLMの新版「tsuzumi 2」提供開始(日経xTECH)(外部)
tsuzumi 2の提供開始を伝える記事。パラメータ数の拡大と1GPU動作、重点分野の知識強化を報じている。
NTTが発表した国産LLM「tsuzumi 2」の実力(Business Insider Japan)(外部)
NTTの生成AI受注額が2024年度436億円から2025年度1500億円見込みへ急拡大している事業規模を提示している。
日本語学習した医療用AI開発 医師国家試験解答も合格基準(共同通信)(外部)
政府主導の日本語医療LLMが、約70万件の論文と約1600万件の医療文書を学習し、合格基準を超えたと報じている。
医療×LLMの最前線:活用事例6選(ヒューマンサイエンス)(外部)
内閣府SIP第3期での国産医療LLM開発の概要を解説。学習データ規模や応用分野など政府プロジェクトの全体像を伝える。
【編集部後記】
医療従事者向けの話題に見えますが、診察室で先生が参照する情報の質が変われば、私たち患者の体験にも直結します。みなさんは、医師がAIを参照しながら診断する未来をどう感じますか。出典が明示されたAIなら、安心して受け入れられそうでしょうか。ご自身が診察を受ける場面を思い浮かべながら、一緒に考えていただけたら嬉しいです。

