はじめに
理学部で物理を学んでいた頃、まさに一日としてアインシュタインの名前を聞かない日はありませんでした。物理化学では光量子仮説、量子力学では光電効果、電磁気学と場の量子論では特殊相対性理論、熱統計力学ではアインシュタインモデル、そして高分子化学の講義では原子の実在を証明したブラウン運動の話まで。あげくの果てには哲学の講義でさえ、空間と時間の相対性が世界観に与えた影響について語られるのです。「またアインシュタインか!」と思いながらも、その度に新たな側面を知る度に感嘆させられるのでした。
実はこの人、「相対性理論の人」として有名ですが、相対論以外でも物理学の根幹を支える重要な発見をたくさんしているのです。
なぜ今日がアインシュタイン記念日なのか
1905年6月30日、アインシュタインが相対性理論に関する最初の論文「運動する物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出した日に由来しています。この年は後に「奇跡の年(Annus Mirabilis)」と呼ばれることになります。
なお、この記念日は公的なものではなく、「アインシュタイン記念日」という名称は、一部のメディアや記念日紹介サイト、広報記事などで使用されている民間発の呼称です。それでも、科学の歴史にとって極めて重要な日であることに変わりはありません。
相対論以外のアインシュタインの業績
光量子仮説
高校の物理で習う「光電効果」。実は光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞したのです。この理論は光が粒子の性質を持つことを示し、量子力学の基礎となりました。つまり、私たちがスマートフォンのカメラで写真を撮れるのも、太陽光発電ができるのも、この発見があったからこそです。
ブラウン運動の理論
顕微鏡で花粉を見ると、小さな粒子がまるで生きているかのようにふらふらと動いています。この現象は発見者の名前を取って「ブラウン運動」と呼ばれていましたが、なぜそうなるのかは謎でした。アインシュタインは、これが水分子の衝突によるものだと理論的に説明し、原子の実在を証明したのです。
アインシュタインモデル
物質の温度を上げると比熱(温度を1度上げるのに必要な熱量)はどう変化するでしょうか?古典物理学では一定のはずでしたが、実際は低温で小さくなります。アインシュタインは量子論を使ってこれを説明する「アインシュタインモデル」を提唱し、固体物理学の基礎を築きました。
ボースアインシュタイン凝縮
インドの物理学者ボースと共に、極低温で粒子が一つの量子状態に集まる現象を理論的に予言しました。これは1995年になってついに実験で確認され、発見者たちはノーベル賞を受賞しました。現在では量子コンピューターの研究にも応用されています。
この理論は、超電導の説明にしばしば使われており、今も高温超電導物質の探索はあらゆる科学者の目指すところであり、彼の研究分野が100年以上たった今でも研究され続けているというのは驚くものがありますね。
あの有名な舌出し写真の真実
アインシュタインといえば、舌をぺろっと出した写真が有名ですね。でも実は、この写真一枚しか存在しないのです。この写真は、1951年3月14日のアインシュタインの72歳の誕生日に報道カメラマンのアーサー・サスが撮影したもの。
近しい人々との誕生日パーティーの後、帰りの車に乗り込んだアインシュタインに、カメラマンが「笑顔の写真を撮らせてください」と声をかけました。いつも記者に対してそっけない態度をとっていたアインシュタインは、ちょっとした”照れ隠し”として舌を出したのです。
面白いことに、その後、新聞に掲載されたこの写真を見たアインシュタインはたいそう気に入り、「とても気に入ったから9枚ほど焼き増ししてくれ」とカメラマンに頼んだほど!この写真は1951年度のニューヨーク新聞写真家賞のグランプリを受賞。そして、これ以降舌を出した写真は撮影されていません。あの一枚は、まさに奇跡の瞬間だったのです。
天才の意外すぎる変人エピソード
ロングスリーパー
アインシュタインの睡眠時間は1日10時間でした。現代の忙しい私たちからすると、羨ましい限りです。彼は「十分な睡眠なしに創造的な思考はできない」と考えていたようで、実際に重要な発見の多くは、ゆっくりと考える時間があったからこそ生まれたのかもしれません。朝もゆっくりと起きて、散歩をしながら思索にふけることが日課でした。
靴下が嫌い?
当時の靴下はすぐに破れて穴が開いてしまうため、アインシュタインは靴下を履くのをやめて、常に素足で靴を履いていました。しかも、これを単なる実用性の問題ではなく、「無駄なものにエネルギーを費やすべきではない」という哲学として捉えていたのです。靴下の穴を気にするくらいなら、その時間で宇宙について考えた方がよほど有益だと考えていたのでしょう。
相対性理論はナンパにも使われていた。
実は、若い頃のアインシュタインは女性関係でもかなり変わったアプローチをしていました。普通の男性なら「今度一緒に映画を見ない?」と誘うところを、彼は「相対性理論の話を聞きたくない?」と口説いていたという逸話があります。
身だしなみには無頓着?
周囲に「身だしなみに気を遣ったらどうですか?」と注意されると、アインシュタインは「肉を買ったときに包み紙の方が立派だったら侘しくはないか」と切り返したそうです。髪もボサボサ、服装も無頓着な彼でしたが、これは単なる無精ではなく、「外見に気を遣う時間があるなら、その分を思考に費やしたい」という明確な哲学に基づいていました。実際、彼の研究室を訪れた人々は、その散らかりようと本人の風貌に驚いたものの、話し始めるとその知性の輝きに魅了されたといいます。
アインシュタインから100年後の「宿題」解決
アインシュタインが1916年に一般相対性理論から予言した重力波。これは「アインシュタインの最後の宿題」と呼ばれ、100年もの間、人類を悩ませ続けた難題でした。重力波とは、ブラックホールのような巨大質量の天体が激しく運動するときに時空の歪みが光速で伝わる現象です。
アインシュタイン自身も、重力波があまりにも微弱すぎて検出は不可能だろうと考えていました。その小ささは「地球と太陽の間で水素原子1個分の変化を測る」ほど精密な測定が必要だったからです。
ところが2015年9月14日、ついにアメリカの重力波検出器LIGO(ライゴ)が、13億光年彼方のブラックホール同士の衝突から発生した重力波の直接検出に成功しました。この発見により、アインシュタインから100年越しの「宿題」がついに解決され、重力波天文学という全く新しい研究分野が誕生したのです。
これは単なる理論の確認にとどまりません。重力波を使えば、光では観測できない宇宙誕生直後の様子や、ブラックホール内部の謎に迫ることができるようになりました。まさにアインシュタインの予言が、人類の宇宙理解を新たな次元へと押し上げたのです。
哲学界をも震撼させた相対性理論の衝撃
アインシュタインの業績は物理学にとどまりません。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、アインシュタインの相対性理論を自らの哲学的世界観に組み込み、『相対性理論への認識』(後に『相対性理論の哲学』として改題)という著作を発表しました。
ラッセルは『現代哲学』の中で、「科学的・客観的に、行動主義やゲシュタルト心理学から量子力学や相対性理論にいたる同時代の最先端の科学的成果を渉猟して、外側から捉えた世界像を分析」し、相対性理論を現代哲学の基盤の一つとして位置づけました。
時間と空間が絶対的でなく相対的であるという発見は、哲学における存在論や認識論を根本から変革しました。「真理とは何か」「実在とは何か」といった根本的な問いに対して、哲学者たちは全く新しい答えを模索せざるを得なくなったのです。
天才は世界の見え方そのものを変えてしまう
アインシュタインの偉大さは、単に物理学の法則を発見したことではありません。彼は人類の世界観そのものを変えてしまったのです。
アインシュタイン以前の世界では、時間は宇宙全体で一様に流れ、空間は絶対的な舞台装置でした。物質とエネルギーは別々のものであり、重力はニュートンの万有引力として理解されていました。
アインシュタイン以後の世界では、時間と空間は観測者によって変化し、物質とエネルギーは本質的に同じものになりました。重力は時空の歪みとなり、宇宙は膨張し、ブラックホールという奇怪な天体が存在することが分かりました。そして今や、時空の波紋である重力波を検出し、宇宙の最深奥の秘密を覗き見ることさえできるようになったのです。
ラッセルのような哲学者が相対性理論に注目したのも、それが単なる物理理論を超えて、人間の認識や存在そのものに関わる革命的な洞察だったからです。科学と哲学、理論と実践、抽象と具象—あらゆる境界を越えて、アインシュタインの思想は人類の知的地平を押し広げ続けています。
「研究は大学でしかできないわけじゃないよ。だって、こうして君とお茶を飲みながらでも議論ができるじゃないか。ここは私にしてみれば、実に立派な研究室だよ」という彼の言葉が示すように、真の創造性に場所は関係ありません。
今日という記念すべき日に、私たちも当たり前だと思っていることを疑ってみませんか?もしかすると、次の「世界を変える発見」は、あなたの日常の中に隠されているかもしれません。アインシュタインのように舌を出してリラックスしながら、世界の謎について思いを馳せてみましょう。
おまけ:実は相当な女好きだった天才

せっかくの記念日なので書きにくかったので本章では触れなかった内容です。。。
一般的には真面目で内向的というイメージで語られがちなアインシュタインですが、実は恋愛に関しては驚くほど積極的で自由奔放でした。彼の恋愛遍歴を時系列で追うと、その破天荒ぶりがよく分かります。
高校時代の淡い恋心
高校時代には下宿先の娘マリー・ヴィンテラーに恋心を抱きました。彼女はアインシュタインより1歳年上で、後に教師となって別の地へ移っていきました。この恋愛は淡いもので、深い交際には至らなかったようです。
最初の妻ミレヴァとの波乱万丈な関係
チューリッヒ連邦工科大学の女子学生だったミレヴァ・マリッチと恋愛関係になりました。彼女はアインシュタインより3歳年上で、先天性股関節脱臼のため足を引きずって歩き、お世辞にも美人とは言えませんでしたが、物理学に対する情熱を共有できる相手でした。結婚前に娘リーゼルを出産しましたが、この私生児のその後の消息は不明で、記録も残っていません。
24歳で結婚した後、アインシュタインの成功とともに関係は悪化していきました。彼は手紙の中で「妻との結婚生活は義務でしかない」「妻は自分にとって背負わなければならない十字架」と冷淡なことを書いており、ミレヴァは精神的に苦しんでいました。夫だけが名声を得て自分は一介の主婦になることに納得できず、うつ状態にもなっていきました。
7年間の不倫と驚きの離婚条件
33歳の時、アインシュタインは自身の従姉妹のエルザ・アインシュタインと7年間にわたる不倫関係を始めます。この不倫が原因で1919年に離婚した際の条件が驚きです。「ノーベル賞の賞金を慰謝料にもらう」というもので、まだ受賞前にも関わらず、ミレヴァは確実に受賞すると信じていたのです。実際、離婚から2年後に受賞し、約束通り賞金は元妻に支払われました。
再婚後も続く浮気の連鎖
エルザと再婚した後も浮気は止まりませんでした。少なくとも6人以上の女性との浮気が手紙などで明らかになっており、エルザは賞金はもらえない、浮気され放題という踏んだり蹴ったりの状況でした。
ソ連女性スパイとの恋愛
晩年には、ソ連の女性スパイ、マルガリータ・コニョンコワとも親密な関係になりました。彼女は有名な彫刻家の妻でしたが、アインシュタインとの関係を利用して情報収集を行っていました。アインシュタインは彼女に恋文を送っており、完全に魅力に取り込まれていたようです。
恋愛に関する名言も多数
彼は恋愛についても数々の名言を残しています。「美人にキスしながら、安全運転できる男がいるって?きっとその男は、女性にもキスにも集中できていないだろうね」や、相対性理論を分かりやすく説明するために「可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。相対性とはそれである」という有名な例えも使っています。
正直ほかにも枚挙にいとまがないほど、アインシュタインの自由奔放な恋愛模様は記録として残っていますが、私が個人的に感じることとしては、最終的にアインシュタインはミレヴァにノーベル賞の賞金をきちんと支払っていたところや彼女が離婚条件として、選ばれた人間だけが受賞できるノーベル賞の賞金を要求したことから、アインシュタインとミレヴァの間にあった関係は単なる十字架でもなかったのかもしれませんね。人の感情は喜怒哀楽だけに綺麗に分けられるものではなく。2人の間でしか共有しえない信頼関係のようなものがあったのかもしれません。