今日8月3日は、現代のハイテク社会を支える「世界最強の永久磁石」として知られるネオジム磁石の発明者、佐川眞人(さがわ まさと)氏の誕生日です。佐川眞人氏は1943年8月3日徳島県生まれで、その発明はスマートフォンから電気自動車まで、私たちの生活を根底から変革しました。
佐川眞人の生涯 – 世界を変えた発明家の軌跡
学歴と研究者への道のり
佐川眞人氏は尼崎市立尼崎高等学校を経て、1966年神戸大学工学部電気工学科を卒業し、1968年神戸大学大学院を修了して電気工学の分野で修士の学位を取得しました。1972年には東北大学大学院にて金属材料工学を研究し、工学博士の学位を取得しています。博士論文が『金属表面皮膜のエピタクシャル歪に関する研究』であったように、もともとは磁石を研究していたわけではありませんでした。
富士通時代 – 運命の出会い
1972年富士通に入社し、磁性材料の研究を命じられることになります。富士通研究所では、当時最強とされていたサマリウム-コバルト(SmCo)磁石の研究が課せられました。フライングスイッチに使われていたサマリウム-コバルト磁石は、耐久性が課題となっており、佐川氏には「磁気特性を変えずに、機械的強度を改善・向上させよ」というテーマが与えられました。
研究を重ねる中で、佐川氏は従来の「強い磁石はコバルトを主成分にしないとできないという常識」に疑問を持ち、鉄とレアアースの組み合わせでの磁石開発に取り組むようになりました。しかし、この独創的な研究は当時の学術界では異端視されました。”希土類と鉄の磁石は、論理的に成立し得ない”とされていた1980年代初頭、世界の潮流に疑問を持ち、自らの発想を信じ、たゆまぬ思索と努力によって、永久磁石の趨勢を永久に変えることになったのです。
佐川氏のNd-Fe-B化合物を基にセル状構造を作り、新しいNd-Fe-B磁石を作る研究は、公式テーマとして取り上げられることなく、1980年までに終了してしまいましたが、決してあきらめていたわけではありませんでした。頭の中で研究を進め、時には余ったサンプルで実験を続けていました。そうしているうちに、上司との決定的な事件が起きてしまいました。普段からよく怒る上司に、ものすごい大声で怒鳴られたことを契機に、佐川氏は辞表を出して富士通研究所を退職しました。
住友特殊金属時代 – 歴史的発明の瞬間
そして住友特殊金属に入社し、それからすぐの1982年5月に、住友特殊金属の実験室で、世界最強の磁気特性をもつ「ネオジム磁石(Nd-Fe-B磁石)」が完成しました。多くの優秀な人材(研究員)、豊富な実験装置・器具など、住友特殊金属が整えた研究環境の下、開発が加速し、1985年には量産化にこぎつけました。一つの発明品の工業化という意味では、とても早いケースでした。
独立と継続的な研究活動
1988年に住友特殊金属を退社し、永久磁石に関する研究開発を専門にするインターメタリックス株式会社を設立し、代表取締役社長に就任しました。2013年にはNDFEB株式会社を設立し代表取締役に就任、2016年には大同特殊鋼株式会社顧問に就任するなど、その後も磁石研究の第一線で活躍を続けています。
世界的評価と受賞歴
佐川氏の発明は世界的に高く評価され、2012年に第28回日本国際賞を受賞しました。2022年には「工学界のノーベル賞」といわれるエリザベス女王工学賞を受賞し、次期ノーベル賞の候補として注目を集めるに至りました。2024年には欧州発明家賞、2023年には第44回本田賞も受賞しています。
ネオジム磁石とは何か? – 世界最強磁石の秘密
基本構成と名称
ネオジム磁石(ネオジムじしゃく、英語: Neodymium magnet)とは、ネオジム、鉄、ホウ素(ボロン)を主成分とする希土類磁石(レアアース磁石)の一つです。「ネオジウム磁石」や「ネオジウムマグネット」とも呼ばれることもありますが、正式名称は「ネオジム磁石」です。
圧倒的な磁力
それまで最強だったサマリウム・コバルト磁石の2倍近い磁力を持ち、計算上は1グラムのネオジム磁石で約1キロの鉄を持ち上げることができます。わずか直径1cmの着磁したネオジム磁石同士を吸着させただけで、普通の人の力では真っすぐには引き離せなくなるくらい強力です。また、同じ磁石で冷蔵庫などの鉄製金属壁にA4の用紙を20枚以上はさむことができます。
磁力が強い理由
強い磁石を作るには、小さく強力な磁石をたくさん作って並べることが重要です。磁気モーメントの大きな物質を金属間化合物の仕切りで結晶粒のサイズまで小さく分割して並べます。ネオジム磁石はネオジムと鉄の磁気モーメントが大きく、金属間化合物が自然に形成されるため、強力な磁石になります。
製造技術の革新
粉末焼結製法を併せて開発したのは佐川らが最初で、この技術革新により個人用コンピューター(パソコン)時代の幕開けにも決定的な役割を果たしました。現在では風力発電機や電気自動車など、エコエネルギー技術を実現する中核的な材料として使われています。
現代社会におけるネオジム磁石の役割
IT社会の基盤
携帯電話・スマートフォンをはじめ、ハードディスクドライブ、エアコンや冷蔵庫などの家電、電気自動車、ドローン、医療機器、風力発電機など、私たちの快適で便利な暮らしを支えるデバイスや機器の飛躍的な性能向上(小型・軽量化、高出力、省エネルギー)を実現させているキーマテリアルが「ネオジム磁石」です。この世界最強の永久磁石が実用されなければ、現在のIT社会の到来は20~30年遅れていたのではないかといわれる世紀の発見です。
環境・エネルギー分野での貢献
現在、世界で使われる全電力量の40~50%をモーターが消費しています。モーターの性能は磁石に依存しますから、小型・軽量化、高効率化などは磁石の力にかかっています。ハイブリッド自動車1台には1キログラムのネオジム磁石が使われますので、さらにハイブリッド自動車が普及すれば、使われるネオジム磁石も増えていきます。
風力発電では、ネオジム磁石を発電機に使うと高効率になり、音も静かになるなど高性能になります。エレベーターでは、モーターにネオジム磁石を使うと、あるメーカーのものでは、かなりのスペースの節約になり、電力消費も半減する効果があります。
市場規模の拡大
ネオジム磁石の世界の年間生産量は、2000年には約1万トンでしたが、2021年には15万トンを超えました。この驚異的な成長は、ネオジム磁石なしには現代のハイテク社会が成り立たないことを物語っています。
各種磁石の特徴比較表
磁石には主に以下の5つのタイプがあり、それぞれ異なる特徴を持っています。
磁石の種類 | 主成分 | 残留磁束密度(Br) | 保磁力(bHc) | 最大エネルギー積(BHmax) | 耐熱温度 | 主な特徴 | 主な用途 | コスト |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ネオジム磁石 | Nd-Fe-B | 1.21-1.27T | 867-979kA/m | 278-310kJ/m³ | 80-200℃ | 現存する永久磁石の中で最も強力・小型・軽量化が可能・錆びやすくメッキが必要 | HDD、MRI、電気自動車、スマートフォン、風力発電機 | 中程度 |
フェライト磁石 | SrO・6Fe₂O₃ | 0.31-0.40T | 220-275kA/m | 20-32kJ/m³ | -30-250℃ | 安価で錆びにくい・割れやすい・磁力は弱い | 冷蔵庫マグネット、スピーカー、モーター | 非常に安価 |
サマリウムコバルト磁石 | Sm₂Co₁₇ | 0.97-1.02T | 557-836kA/m | 175-199kJ/m³ | 250-350℃ | 高耐熱性・耐食性に優れる・ネオジムに次ぐ強力さ・衝撃に弱い | 高温環境のモーター、航空宇宙機器、センサー | 高価 |
アルニコ磁石 | Al-Ni-Co-Fe | 0.83-1.30T | 48-123kA/m | 38-44kJ/m³ | -250-500℃ | 優れた温度安定性・保磁力が低く脱磁しやすい・機械的強度が高い | 計器類、センサー、スピーカー、測定器 | 高価 |
電磁石 | 鉄心+コイル | 1.0-2.0T以上 | 制御可能 | 制御可能 | コイル材料に依存 | 電気制御により磁力のON/OFF可能・磁力の強さや極性を自在に制御・電力消費が必要 | リニアモーターカー、MRI、工業用電磁クレーン | 動作コスト高 |
ネオジム磁石の技術的課題と展望
耐熱性の改善
ネオジム磁石には温度が上昇すると保磁力が落ちる弱点があります。かつては100度程度が実用上の限界でしたが、別種のレアアースのジスプロシウムを添加すると保磁力が向上します。ハイブリッド車のモーターや風力発電機は200度位の耐熱性を要し、質量比で5~10%のジスプロシウムが使われています。
しかし、耐熱性が低く重希土類のジスプロシウムを添加しなければならなかったものの、40年の開発で重希土類フリーのネオジム磁石が誕生しています。市場価格が高騰しても技術開発で資源リスクを抑える好例といえます。
資源供給の課題
これらの用途が広がり、ネオジム磁石の需要が伸びていけば、生産量も将来的にはさらに増加すると予想されます。しかし、こうした需要に応えるためには、レアアースなどの資源問題を解決しておかなければ実現できません。
次世代磁石への展望
ネオジム磁石を超えるには、より優れた金属間化合物を探す必要があります。または未発見のプロセス技術の開発が必要です。これは非常に難しいとされています。いずれにせよ新しい磁石は基礎研究から生まれるでしょう。これには政府や企業からの大きな資金支援が必要になると佐川氏は述べています。
磁石技術の発展と未来
40年間の技術革新
ネオジム磁石は1982年の発明から40年以上、最強の座に君臨しています。この間にネオジム磁石が最強であるメカニズムが解明され、産業界には他の選択肢はないという声さえある状況です。
AI・マテリアルズインフォマティクスの活用
マテリアルズ・インフォマティクスでどこまでいけるかわかりませんが、ポスト・ネオジム磁石が見つかったらAIを使った研究の最大の成果に数えられるでしょうと、AI技術を活用した新材料開発への期待も示されています。
佐川眞人氏の生涯と業績を振り返ると、単なる発明家を超えた、現代文明の基盤を築いた偉大な科学者の姿が浮かび上がってきます。誰もが出来ないと思い込んでいた「非常識」から生まれたネオジム磁石は、40年以上経った今でも世界最強の座を守り続け、私たちの生活に欠かせない存在となっています。
スマートフォンを手に取るとき、電気自動車に乗るとき、MRIで検査を受けるとき、私たちは佐川氏の発明の恩恵を受けているのです。8月3日の佐川氏の誕生日は、現代のハイテク社会を可能にした偉大な発明を讃える日として記憶されるべきでしょう。
そして今後も、新しい永久磁石の出現を期待する声もありますが、しばらくはネオジム磁石の活躍が続くのではないかと予想される中、次世代の磁石技術の開発は人類の持続可能な未来にとって重要な課題となっています。佐川氏の「常識を疑い、あきらめない」精神は、これからの研究者たちにも受け継がれていくことでしょう。