深海への挑戦
1989年8月11日、三陸沖の日本海溝で歴史的な瞬間が刻まれました。有人潜水調査船「しんかい6500」が当時世界最深の6527メートルに到達したのです。午前8時42分、宮城県金華山沖240キロの地点で支援母船「よこすか」から海面に降ろされ、約2時間46分かけてたどり着きました。この記録は、日本の深海探査技術の頂点を示すとともに、人類の深海への探求心の結晶でもありました。
しんかい6500は、その名の通り深度6,500mまで潜ることができる潜水調査船として設計され、現在でも運用中の潜水調査船の中で世界有数の深海到達能力を持っています。この日本の誇る深海探査船の技術的詳細と、世界の潜水調査船発展の歴史を振り返りながら、人類の深海探査の軌跡をたどってみたいと思います。
しんかい6500の技術的詳細
基本仕様と設計思想
しんかい6500の大きさは、全長9.7メートル、幅2.8メートル、高さ4.1メートル、空中重量26.7トンです。船価は約125億円という巨額の投資により実現した最先端技術の結晶です。
最大潜航深度を6,500mとしたのは、日本海溝の水深6,000〜6,500mに過去の大きな地震震源域があったからで、地震研究を主要な目的の一つとして設計されました。
革新的な耐圧殻技術
しんかい6500の最も重要な技術革新は、その耐圧殻にあります。パイロット2名、研究者1名が乗り込む船体前部の耐圧殻(たいあつこく)は内径2m、床面1.2mで、従来の高張力鋼に代わりチタン合金で作られており、約68MPaの水圧にも耐えられるように73.5mmの厚みを持ちます。
耐圧性能を高めるために極力、真球に近い形状となっており、誤差は0.5mm以内に収められています。この驚異的な精度で製造された耐圧殻により、乗員の安全が確保されています。
観測窓の技術
深海での観測において重要な役割を果たすのが観測窓です。耐圧球の前方(パイロット用)と側方左右の合計3箇所には、メタクリル樹脂(アクリル樹脂)製の覗き窓(7cm厚の2枚重ねで計13.8cm)が設置してあります。
実験では、4,000気圧(深度約4万メートル相当の水圧)で割れているため、地球上の深海において水圧が原因で割れることはありません。この安全性により、深海での安全な観測が可能になっています。
浮力材技術の革新
深海潜水艇において浮力の確保は生命線です。潜水調査船に使用される浮力材は海水よりも小さい比重であると同時に、高い水圧に耐えられる強度が必要です。「しんかい6500」では、シンタクティックフォームと呼ばれる浮力材を使用しています。
浮力材は、ガラスマイクロバルーン(極小の中空ガラス球)を高強度エポキシ樹脂で固めたシンタクチックフォーム(水との比重は0.53)を船体全体に使用しています。特に、しんかい6500で使用されているシンタクチックフォームは、直径88〜105μmと直径40〜44μmの2種のガラスマイクロバルーンを使用、より小さなバルーンで間を埋めることで比重を抑えたまま強度を向上しています。
推進システムと運動性能
2012年3月、「しんかい6500」は、建造以来最大となる改造を終えました。船尾の主推進器を、旋回式大型1台から固定式中型2台に変更し、また水平スラスタを後部に1台増設して回頭性能を向上させました。この改修により機動性が大幅に向上しました。
水平スラスタ、垂直スラスタ、主推進装置(メインスラスタ)とそれぞれ2基ずつ合計6基を装備していますことで、深海での精密な位置制御を可能にしています。
電源システムの進歩
主蓄電池は当初、軽量で高容量の酸化銀亜鉛電池を1組2群(1群72セル)を潜水毎に入れ替えて使用していましたが、2004年からはリチウムイオン電池となり、小型軽量化と整備性改善が図られています。
生命維持システム
酸素など5日間は生命維持ができるようになっています。安全設計により、緊急時の対応能力が確保されています。
運用性能と調査能力
潜航性能
毎分約45mで降下できますので、最深6500mに潜航する際には約2時間30分かかります。運用上しんかい6500の潜航時間は8時間と定められており、水深6,500mまで潜る場合は片道の潜航時間に約2.5時間必要であるため、水深6,500m地点での調査時間は最長で約3時間となります。
照明システム
深海は完全な暗闇です。水深200mを過ぎると太陽の光はほとんど届かなくなり、深海では全くの暗闇です。「しんかい6500」の投光器は1灯で自動車の強力なヘッドライト3~4個分の明るさがあります。しかし懸濁物が少なく海水の条件が良い海域で、全灯(7灯)を使って照らしても視程は10m程です。
支援母船システム
「しんかい6500」はそれ単体では機能しません。調査航海に出るときは必ず支援母船に乗せて世界中の海へ調査に出かけます。その支援母船が「よこすか」です。「よこすか」には潜水船を整備するための格納庫、着水揚収するためのクレーン、潜水船の位置を測る測位装置、そして研究者が海底で採取したサンプルを研究するための研究室(ラボ)などがあり、「しんかい6500」の基地であると同時に「浮かぶ研究所」の役目も担っています。
世界の潜水調査船史
第一章:バチスカーフの時代(1940年代〜1960年代)
オーギュスト・ピカールの革命
現代深海探査の父と呼ばれるのは、スイスの物理学者オーギュスト・ピカールです。もともとは宇宙に強い関心を持ち、世界初の気球による成層圏到達を成し遂げたことでも知られるピカールですが、海のないスイスの科学者は、後にその興味を深海へと移し、1954年に自らバチスフェア(球体の潜水装置、いわゆる耐圧球)を操って水深4000メートルまで潜っています。
バチスカーフ(Bathyscaphe、-scape、-scaph)とは、スイスの物理学者オーギュスト・ピカールによって発明された、推進力をもち深海を自由に動き回ることが可能な小型の深海探査艇である。ギリシア語の「bathys(深い)」と「skaphos(船)」を合わせた造語である。
FNRS-2からトリエステへ
最初に完成したのは F N R S 2 でベルギーで建造されました。二番目に建造されたバチスカーフはイタリアで1953年8月1日に完成したトリエステでした。
トリエステは浮力を得るためのガソリン槽と耐圧球からなり、ピカールはこの構造を「バチスカーフ」と呼んだ。それ以前の人が乗り組んだ球体を母船から吊って昇降させる潜水球(バチスフェア)より自由度に優れていました。
歴史的なマリアナ海溝挑戦
1960年、人類史上最も深い海への挑戦が始まりました。1960年、トリエステ号は、ピカールの息子ジャック・ピカールとドン・ウォルシュ大尉の操縦によって地球表面で最も深い地点、すなわちマリアナ海溝のチャレンジャー海淵に到達しました。
そこでマノメータ(水圧からの換算)は水深1万1521メートルを示していましたが、後に1万916メートルと訂正しています。しかしながら極度の水圧のため、潜水時間はわずか20分という短時間での歴史的記録でした。
第一章:バチスカーフの時代(1940年代〜1960年代)
オーギュスト・ピカールの革命
現代深海探査の父と呼ばれるのは、スイスの物理学者オーギュスト・ピカールです。もともとは宇宙に強い関心を持ち、世界初の気球による成層圏到達を成し遂げたことでも知られるピカールですが、海のないスイスの科学者は、後にその興味を深海へと移し、1954年に自らバチスフェア(球体の潜水装置、いわゆる耐圧球)を操って水深4000メートルまで潜っています。
バチスカーフ(Bathyscaphe、-scape、-scaph)とは、スイスの物理学者オーギュスト・ピカールによって発明された、推進力をもち深海を自由に動き回ることが可能な小型の深海探査艇である。ギリシア語の「bathys(深い)」と「skaphos(船)」を合わせた造語である。
FNRS-2からトリエステへ
最初に完成したのは F N R S 2 でベルギーで建造されました。二番目に建造されたバチスカーフはイタリアで1953年8月1日に完成したトリエステでした。
トリエステは浮力を得るためのガソリン槽と耐圧球からなり、ピカールはこの構造を「バチスカーフ」と呼んだ。それ以前の人が乗り組んだ球体を母船から吊って昇降させる潜水球(バチスフェア)より自由度に優れていました。
歴史的なマリアナ海溝挑戦
1960年、人類史上最も深い海への挑戦が始まりました。1960年、トリエステ号は、ピカールの息子ジャック・ピカールとドン・ウォルシュ大尉の操縦によって地球表面で最も深い地点、すなわちマリアナ海溝のチャレンジャー海淵に到達しました。
そこでマノメータ(水圧からの換算)は水深1万1521メートルを示していましたが、後に1万916メートルと訂正しています。しかしながら極度の水圧のため、潜水時間はわずか20分という短時間での歴史的記録でした。
第二章:アルビン級の時代(1970年代〜1990年代)
新世代の始まり
トリエステ級バチスカーフは1983年の潜水を最後に、アルビン号を始めとするアルビン級に交代となりました。新型艇はいずれもトリエステ級ほどの大深度には潜れませんでしたが、汎用性や持続性に優れていました。
アルビン号の技術革新
アルビンはこれまで使用されてきたバチスカーフや機動性の乏しい他の潜水調査艇を代替する目的で建造されました。浮力材として深海の高圧下でも浮力を維持するシンタクチックフォームを採用した事で機動性が向上しました。
船体重量は17トンで2名の科学者と1名のパイロットで深度4,500メートルで9時間まで潜水できる性能を持っています。
科学的発見への貢献
1977年、アメリカ海洋大気庁 (NOAA)の後援でロバート・バラードが主導する調査でアルビンはガラパゴス諸島周辺の海域でブラックスモーカーの存在を発見し、記録したという重要な科学的発見を成し遂げました。
第三章:6000m級潜水艇の黄金時代(1980年代〜2000年代)
日仏米の技術競争
1980年代に入ると、日本、フランス、アメリカが6000m級潜水調査船の開発で競い合いました。
フランスの挑戦:ノティール
ノティール(フランス語: Nautile)はフランスの有人潜水調査艇です。フランス国立海洋開発センター(CNEXO)およびその後身であるフランス国立海洋開発研究所(en:IFREMER)によって発注・建造されました。1984年11月に就役。深さ6000メートルまで潜水可能です。
ノティールはバチスカーフを元に製造された小型潜水艇で、正副パイロットと科学研究スタッフの3名が乗り込めます。長さ8メートル、幅2.7メートル、高さ3.81メートルで、耐圧殻はチタン合金で作られています。
日本の躍進:しんかい6500
1989年1月19日、三菱重工業神戸造船所において進水式が行われ、一般公募により「しんかい6500」と命名されました。1990年に母船を含むシステムが完成、翌1991年より調査潜航を開始し、世界の深海調査をリードする存在となりました。
第四章:21世紀の深海探査革命(2000年代〜現在)
中国の台頭と記録更新
これまで科学調査のための有人潜水調査艇の持つ世界記録は「しんかい6500」の6527mでしたが、それが「蛟龍号」によって更新されました。2012年6月15日、太平洋マリアナ海溝で水深6671mまで潜水し、1989年に「しんかい6500」が達成した6527mの記録を抜き、続く24日には水深7015mの潜水に成功しました。
蛟竜号(7000m級)
蛟竜級潜水艇(Jiao Long, 蛟龙)は世界の海洋底の99.8%である水深7000m未満の海域まで潜れる中国の潜水艇です。2012年6月15日に、ドラゴン級潜水艇「蛟竜号」は水深6,671mに到達し、6月24日にはマリアナ海溝で7,020mに到達しました。
奮闘者号(11000m級)
中国の有人潜水船「奮闘者」号は先月27日、西太平洋のマリアナ海溝で1万58メートルの潜水に成功し、1万メートルの突破で中国有人深海潜水の新記録を樹立しました。「奮闘者」号は2020年11月19日に再び世界の海洋の最深部にチャレンジし、マリアナ海溝で水深1万909メートルの海底に到達しました。
「奮闘者」号はこれまでに、1万メートル級潜水を21回完了しており、科学者27人が同号を通じて海の最深部に到達し、中国の1万メートル級深海潜水作業回数と潜水人数はいずれも世界トップとなっています。
キャメロンの単独挑戦
52年ぶりにチャレンジャー海淵への挑戦が行われました。2012年3月26日、カナダ人の映画監督であるジェームズ・キャメロンの操縦により最深点に到達しました。彼は単独でチャレンジャー海淵に到達した最初の人物になりました。
ディープシーチャレンジャー(英語: Deepsea Challenger、DCV 1) は、世界で最も深い海の底として知られるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵に到達するために設計された有人深海探査艇です。
ディープシーチャレンジャーは、50年前の潜水艇であるバチスカーフ・トリエステ号の1/10の重量で、トリエステよりも遥かに多い観測装置を備え、かつ、降下と浮上は高速であるという技術革新を示しました。
しんかい6500の現在と未来
運用実績と科学的貢献
2007年には通算1000回目の潜航を達成したしんかい6500は、これまで多くの研究者とともに潜航を行ってきました。「しんかい6500」は年によって行き先は変わりますが、おおよそ年間180~200日程度はこの「よこすか」と一緒に世界中の海で調査研究を行っています。
世界における位置づけ
大深度まで潜れるHOVとしてはもちろん日本唯一です。また、この種のHOVを保有・運用しているのは、世界でも一部の国だけ。なかでも6000m級のHOVとなるとさらに限られ、現在では日本、アメリカ、フランス、中国の4か国のみとなります。
設計寿命と後継計画
2040年代に設計上の寿命を迎えますが、製造技術やコストの問題もあり後継には無人機を予定しているという現実的な課題に直面しています。日本の技術の粋を集めて建造された有人潜水調査船「しんかい6500」。ただ竣工から35年近くが経過しており、支援母船「よこすか」とともに老朽化が進行し、後継を新造するのか否かの岐路に立っています。
技術革新の意義と展望
安全基準の国際比較
各国で異なる安全基準が技術設計に大きな影響を与えています。耐圧殻の安全基準に関して日本は他国よりも厳しいルールがあり、設計深度×1.5+300メートルという構造強度基準で、しんかい6500では水深10,050mの水圧に耐えられる耐圧殻の設計となっている一方、中国では国際標準化機構(ISO)部会に対し、6,000mの深度については適用圧力を設計潜水深度の1.1∼1.25倍でよいではないかと提案していて米国も設計潜水深度×1.25を適用圧力としています。
深海探査の未来
人類の深海への挑戦は続いています。技術の進歩により、より深く、より長時間、より安全な探査が可能になってきました。有人潜水調査船から無人探査機への移行も進んでいますが、人間の直接観察と判断の価値は依然として高いものがあります。
深海への永続的挑戦
8月11日は、日本の深海探査技術の到達点を示す記念すべき日です。1989年のこの日に記録されたしんかい6500の6,527メートルという潜航記録は、単なる技術的成果を超えて、人類の探求心と技術力の結晶を表しています。
世界の潜水調査船の歴史を振り返ると、オーギュスト・ピカールのバチスカーフから始まり、アルビン級、そして現代の6000m級潜水艇群、さらには中国の11000m級潜水艇まで、技術革新の歩みは止まることがありません。
しんかい6500は、設計寿命を迎えつつありますが、その35年間にわたる運用で蓄積された技術とノウハウは、次世代の深海探査技術へと確実に引き継がれていくことでしょう。深海は地球最後のフロンティアと呼ばれます。人類の深海への挑戦は、これからも続いていくのです。