Wikimedia Foundationは2025年8月11日、英国のOnline Safety Act 2023(OSA)のカテゴリー1基準の緩和を求めた法的挑戦で敗訴した。
同財団は技術担当大臣ピーター・カイルに対し、OSAの基準が広範囲すぎてWikipediaがソーシャルメディアやポルノサイトと同じ規制対象になると主張していた。ジョンソン判事は4つの申し立て根拠をすべて却下したが、2つの根拠について司法審査請求を認めた。
カテゴリー1サービスは、英国で月間3400万人以上のアクティブユーザーとコンテンツ推奨システムを持つ、または、700万人以上のアクティブユーザーと推奨システム、且つコンテンツ共有機能を持つサービスが対象となる。Ofcomは夏の終わりまでにWikipediaのカテゴリー分類を決定する予定である。判事はWikipediaがカテゴリー1に分類され運営に支障が出る場合、政府は規制修正を検討する必要があると指摘した。カテゴリー1に分類されれば身元確認技術の実装が必要になる。
From: Wikimedia Foundation loses first court battle to swerve Online Safety Act regulation
【編集部解説】
今回のWikimedia Foundation敗訴の判決は、単なる一企業の法的敗北を超えて、インターネット時代における知識の民主化と規制のバランスという根本的な問題を浮き彫りにしています。
Online Safety Actの仕組みと影響範囲
Online Safety Act(OSA)は英国が2023年10月26日に成立させた包括的なオンライン安全法で、プラットフォームを3つのカテゴリーに分類します。最も厳格なカテゴリー1は、以下の2つの基準のいずれかを満たすサービスが対象となります:
・基準A: 月間3400万人以上の英国ユーザー数 + コンテンツ推奨システム
・基準B: 月間700万人以上の英国ユーザー数 + コンテンツ推奨システム + ユーザー間コンテンツ転送・共有機能
これらの基準は本来、Facebook、X(旧Twitter)、InstagramなどのSNSプラットフォームを想定して設計されたものです。しかし、Wikipediaのような知識共有プラットフォームまで同じ規制対象に含まれる可能性が生まれました。
身元確認システムがもたらす根本的変化
もしWikipediaがカテゴリー1に分類されれば、成人ユーザー向けの身元確認オプションの提供が義務化されます。これは単なる技術的な変更ではありません。Wikipediaの編集システムの根幹を揺るがす変化です。
現在、Wikipediaは世界中のボランティア編集者によって支えられており、その多くは匿名性によって保護されています。権威主義的な政権下にいる編集者や、政治的に敏感な記事を扱う貢献者にとって、匿名性は身の安全を守る盾の役割を果たしています。身元確認システムが導入されれば、これらの編集者は参加を諦めるか、リスクを承知で身元を明かすかの選択を迫られます。結果として、Wikipediaの情報の多様性と質が大幅に低下する可能性があります。
判決の微妙な含意
興味深いのは、ジョンソン判事(Mr Justice Johnson)がWikimediaの法的挑戦を却下しながらも、「この判決をOfcomと技術担当大臣がWikipediaの運営を著しく阻害する制度実施への青信号と混同してはならない」と明確に警告した点です。
これは法的な敗北でありながら、実質的にはWikipediaを保護する道筋を示した判決と解釈できます。判事は、もしWikipediaがカテゴリー1に分類されて運営に支障が出る場合、政府は規制の修正や議会での法改正を検討する義務があると指摘しました。
段階的実施の現状
OSAは段階的な実施が進んでおり、2025年7月25日からは子どもの安全規範(Children’s Safety Codes of Practice)が発効し、年齢制限コンテンツに対する「高度に効果的な」年齢保証システムの導入が義務化されました。これは主に成人向けコンテンツやポルノサイト、自傷行為を促進するコンテンツを対象としています。
グローバルな規制トレンドへの警鐘
この事案は英国だけの問題ではありません。世界各国でプラットフォーム規制が強化される中、「安全性」の名の下に表現の自由や知識へのアクセスが制限される可能性を示しています。欧州デジタルサービス法(DSA)、米国の各州レベルでの類似法案など、同様の規制が世界的に拡大しています。英国での判例がこれらの国際的な規制動向に与える影響は計り知れません。
技術革新への長期的影響
さらに深刻なのは、このような規制がボランティアベースの技術革新モデルに与える潜在的な脅威です。Wikipediaのような非営利のコラボレーティブプラットフォームは、Web 2.0時代から続く「集合知」の象徴的存在です。
こうしたモデルが規制によって機能を制限されれば、将来的により多様で創造的なオンラインコラボレーションプラットフォームの発展が阻害される可能性があります。
次の焦点はOfcomの判断
現在、Ofcomは夏の終わりまでにWikipediaの実際のカテゴリー分類を決定する予定です。この決定こそが、Wikipediaの運命、ひいては世界的な知識アクセスの未来を左右する重要な分岐点となるでしょう。
もしOfcomがWikipediaをカテゴリー1に分類すれば、判事の警告通り、政府は法の修正を迫られる可能性があります。逆に、柔軟な解釈でWikipediaを除外すれば、他の類似サービスにも適用される重要な先例となります。
【用語解説】
Online Safety Act 2023(OSA):
2023年10月26日に成立した英国の包括的なオンライン安全法。ソーシャルメディア企業や検索サービスに対し、違法コンテンツや子供に有害なコンテンツから利用者を保護する法的義務を課している。
Category 1サービス:
OSAで定められた最も厳格な規制カテゴリー。月間3400万人以上の英国ユーザーとコンテンツ推薦システムを持つか、700万人以上のユーザーと推薦システム、コンテンツ転送・共有機能を持つサービスが対象。
カテゴリー2A・2B:
Category 1に該当しない比較的小規模なサービス。2Aは規制検索サービス、2Bはユーザー間サービスを指す。
コンテンツ推薦システム:
ユーザーの行動履歴や嗜好に基づいて特定のコンテンツを優先表示するアルゴリズム。多くのSNSプラットフォームで使用されている。
【参考リンク】
Wikimedia Foundation(外部)
Wikipediaを運営する米国の非営利財団。300以上の言語で6400万以上の記事を提供する世界最大の無料知識プラットフォーム
英国政府 Online Safety Act(外部)
英国政府による包括的なオンライン安全法の公式情報。子どもと成人をオンライン上で保護することを目的
Ofcom(英国情報通信庁)(外部)
英国の放送・通信・郵便業界の規制機関。Online Safety Actの実施・監督責任を負う
科学・革新・技術省(DSIT)(外部)
英国政府でテクノロジー政策を担当する省庁。Online Safety Actの実施を監督
【参考記事】
The Online Safety Act 2023 Regulations 2025(外部)
英国政府が制定したOSAのカテゴリー分類規則の公式条文。Category 1の具体的な基準を明記
Official Court Judgment: Wikimedia Foundation v Secretary of State(外部)
英国高等法院による公式判決文。Mr Justice Johnsonの重要な判断と将来的な司法審査の道筋
Online Safety Act: explainer – GOV.UK(外部)
英国政府による公式のOSA説明文書。Category 1サービスの義務と段階的実施スケジュール
Wikipedia operator loses court challenge – Reuters(外部)
Reuters通信による速報記事。Wikimedia Foundationの敗訴とMr Justice Johnsonの警告について
UK Enforces Age Verification for Restricted Content – Sumsub(外部)
2025年7月25日から施行された子どもの安全規範について詳細解説。年齢保証システムの義務化
【編集部後記】
今回のWikipedia敗訴のニュースは、私たちが当たり前に使っている「無料で自由な知識アクセス」の未来について考えるきっかけかもしれません。
もしWikipediaで記事を編集するのに身元確認オプションが導入されたら、皆さんはどう感じるでしょうか?匿名性が制限されることで、どのような情報が書かれなくなり、どのような声が届かなくなるのか。
一方で、オンライン上の安全性確保も重要な課題です。規制と自由のバランスをどう取るべきか、ぜひ皆さんのお考えをSNSでお聞かせください。この議論こそが、デジタル社会の未来を形作る重要な一歩になるはずです。