網膜チップ「PRIMA」、加齢黄斑変性症の失明治療で世界初の成功

網膜チップ「PRIMA」、加齢黄斑変性症の失明治療で世界初の成功

ロンドンのMoorfields Eye Hospitalが英国拠点として参加した臨床試験で、カリフォルニアの企業が開発した「PRIMA」というマイクロチップインプラントにより、乾性加齢黄斑変性症(AMD)による失明患者が視力を回復した。

2025年10月21日にBBCが報じた内容によると、髪の毛より薄いチップを網膜下に埋め込み、カメラ付きARグラスと体に装着する小型コンピューターを組み合わせることで、赤外線信号を電気インパルスに変換して脳に伝達する仕組みである。臨床試験には38人の患者が参加し、そのうち主要評価対象となった患者の84%が文字、数字、単語を再び読めるようになった。臨床試験に参加したSheila Irvineさんは読書やクロスワードパズル、細かい文字の読解が可能になったと証言している。

手術時間は2時間未満で、500万人以上が罹患するこの疾患の進行期(地理的萎縮)に対し、機能的な視力回復をもたらす初の治療法となる。今後数年以内に承認される見込みで、承認後はNHSを通じて提供される可能性がある。

From: 文献リンクHere’s how a microscopic implant helped blind people see again

【編集部解説】

今回のPRIMAインプラントは、視覚補助技術における大きなパラダイムシフトを示しています。特筆すべきは、これが中心視力の回復に成功した世界初のデバイスである点です。

技術的な側面から見ると、PRIMAチップの厚さはわずか30マイクロメートル(0.03mm)で、人間の髪の毛の半分ほどの薄さしかありません。このチップは光起電力方式を採用しており、太陽光パネルのように機能します。ARグラスから発せられる近赤外線がチップに電力とデータを供給し、AIアルゴリズムが視覚情報を処理して電気信号に変換、それが視神経を通じて脳に伝わる仕組みです。

臨床試験の詳細を見ると、ヨーロッパ5カ国17施設で実施され、12ヶ月のフォローアップを完了した32名のうち、27名(84%)が臨床的に意味のある視力改善を達成しました。平均で視力表の5段階分、約25文字の改善が見られています。さらに78%の参加者が15文字以上の改善を示し、最大の改善例では59文字もの向上が確認されました。

この技術の重要性は、現在治療法が存在しない地理的萎縮(GA)を伴う乾性加齢黄斑変性症に対する初めての医療的介入となる点にあります。世界で500万人以上が罹患しているこの疾患は、高齢者における不可逆的失明の主要原因となっています。

手術は硝子体切除術として行われ、2時間以内で完了します。術後約1ヶ月で装置が起動され、患者は数ヶ月にわたる集中的なリハビリテーションプログラムを通じて、この新しい視覚信号を解釈する方法を学びます。試験参加者の既存の周辺視野に有意な低下は見られませんでした。

過去の人工視覚デバイスとの比較も重要です。2013年にFDAが承認したArgus IIは60電極しか持たず、基本的な光感度しか提供できませんでしたが、PRIMAは378個の独立制御可能なピクセルを持ち、形態視覚(物体の形や模様を認識する視覚)を初めて実現しました。

Science Corporationは欧州市場での販売認証(CEマーク)を申請済みで、承認されれば英国のNHSを通じて提供される可能性があります。将来的には他の眼疾患への応用も期待されており、この分野における医療機器の可能性が大きく開かれたと評価されています。

【用語解説】

PRIMA(Photovoltaic Retina Implant Microarray)
光起電力方式を採用した網膜下インプラントシステムである。378個の独立制御可能なピクセルを持ち、厚さは30マイクロメートル(人間の髪の毛の半分ほど)という微細な構造を持つ。ARグラスから発せられる近赤外線信号を電気インパルスに変換し、損傷した光受容細胞(視細胞)を迂回して双極細胞を直接刺激することで視覚情報を脳に伝達する。

加齢黄斑変性症(AMD: Age-related Macular Degeneration)
網膜の中心部にある黄斑が加齢により変性し、中心視野が失われる疾患である。50歳以上の失明原因として最も一般的で、世界で500万人以上が罹患している。乾性型と湿性型に分類され、今回の臨床試験の対象となったのは乾性型の中でも地理的萎縮(GA)と呼ばれる進行段階である。

地理的萎縮(GA: Geographic Atrophy)
乾性加齢黄斑変性症の進行した病態で、黄斑部の光受容細胞が広範囲に失われた状態を指す。これまで有効な治療法が存在せず、不可逆的な中心視力喪失を引き起こす。米国では約100万人が罹患している。

視力表示(logMAR)
視力を対数スケールで測定する方法で、臨床試験において標準的に使用される。今回の試験では平均して視力表の5段階分(約25文字)の改善が確認された。0.2 logMARの改善は臨床的に意味のある視力向上とされる。

硝子体切除術
PRIMAインプラントの埋め込みに使用される外科手術法で、眼球内の硝子体を除去して網膜下にアクセスする。手術時間は2時間未満で完了する。

形態視覚(Form Vision)
物体の形状やパターンを認識できる視覚能力。これまでの人工視覚デバイスは基本的な光感度しか提供できなかったが、PRIMAは形態視覚を初めて実現した。

【参考リンク】

Science Corporation – PRIMA Visual Prosthesis(外部)
PRIMAシステム開発元の公式サイト。378ピクセルを持つ光起電力式網膜インプラントの技術詳細や臨床試験状況を公開

Moorfields Eye Hospital NHS Foundation Trust(外部)
1805年設立のロンドン専門眼科病院。PRIMA臨床試験の主導機関として欧州5カ国17施設の多国間研究を統括

University College London – Institute of Ophthalmology(外部)
Moorfields病院に隣接する世界有数の眼科研究機関。今回の臨床試験で学術的支援と研究評価を担当

Stanford Medicine – Ophthalmology(外部)
PRIMAシステムを開発したDaniel Palanker教授が所属。20年以上前から人工視覚デバイス研究を推進

New England Journal of Medicine – PRIMA Study(外部)
2025年10月公開のPRIMA臨床試験の正式論文。38名対象の12ヶ月フォローアップ結果や安全性評価を掲載

【参考記事】

Eye prosthesis is the first to restore sight lost to macular degeneration(外部)
スタンフォード大学医学部の公式発表。形態視覚を実現した世界初デバイスとして32名中27名が読書能力を回復した詳細を報告

Pioneering eye device restores reading vision to blind eyes(外部)
UCLによる公式発表。32名中26名(81%)が視力改善を達成し平均25文字の改善が見られたことを詳細な数値データで報告

Prima implant offers new hope for vision restoration in atrophic AMD(外部)
Medical Newsの医学的分析。参加者平均年齢78.9歳、最大改善59文字、1年後84.4%が文字読解可能と報告

People with blindness can read again after retinal implant(外部)
Nature誌の科学的評価。中心視力回復成功の世界初デバイスとして、Argus IIとの性能比較やCEマーク申請状況を報告

With a tiny eye implant and special glasses, some legally blind patients can read(外部)
NBCニュースの報道。32名の80%が視力改善を経験し、26件の重篤な有害事象の大半が2ヶ月以内に解決したと報告

【編集部後記】

「視力を失った目で再び本を読む」──そんな未来が、もう現実のものとなりました。70歳のSheila Irvineさんが「まるで世界が開けたようだった」と語るこの技術は、視覚補助デバイスの歴史における大きな転換点です。ただ、私たちが考えたいのは、この技術が単なる「視力回復」を超えて持つ意味についてです。読書や趣味を取り戻すことは、人としての独立性や尊厳に直結します。みなさんは、もし大切な感覚を失ったとき、最も取り戻したいものは何でしょうか。そして、このような医療機器が今後どのような疾患に応用されていくと思いますか。ぜひ一緒に考えてみたいです。

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