中国の発明家Xuewu Liuは、医学的訓練を受けていないにもかかわらず、がん患者に対し20,000ppm濃度の二酸化塩素(漂白剤溶液)を腫瘍に直接注射する治療を1クール2万ドル(4回の注射で約300万円)で提供している。Liu氏は2016年に動物での前臨床研究を開始し、現在までに中国とドイツで20人の患者を治療したと主張している。現在はドイツ・スイス国境のCMC Rheinfeldenクリニックで治療を提供しており、ドイツでは1回5,000ユーロで通常4回の注射が推奨されている。Liu氏は元製薬会社幹部のScott Hagermanと協力し、この未承認治療を米国に持ち込む計画を進めている。Hagermanは30年間製薬業界で働き、Pfizer社での10年間の勤務歴を持つ。Liu氏は100人以上の米国患者を臨床研究プログラムに登録したと主張している。ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏の米国厚生長官就任予定が追い風となると期待され、Hagerman氏は2025年末までの実現を希望し、Liu氏は2026年の臨床試験開始を予想している。
From:An Inventor Is Injecting Bleach Into Cancerous Tumors—and Wants to Bring the Treatment to the US
【編集部解説】
科学的根拠と安全性の問題
二酸化塩素は通常、工業用消毒剤として使用される化学物質です。医療現場では水道水の浄化や表面の消毒に限定的に使用されていますが、人体への直接投与は極めて危険とされています。
Liu氏の治療法で使用される20,000ppmという濃度は、通常の「MMS(奇跡の鉱物溶液)」として知られる経口摂取用の3,000ppmの約6.7倍という高濃度です。これまで二酸化塩素を医療目的で使用することは、世界中の保健当局から強く警告されてきました。
英国在住の中国人患者の証言では「人生で経験したことのないような激痛」や「腫瘍の皮膚への転移疑い」などの深刻な副作用が報告されており、安全性について重大な懸念があります。
ケネディ氏就任予定下での規制環境の変化
この事案が注目される背景には、ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏の厚生長官就任予定があります。ケネディ氏は代替医療に対する支持を表明しており、「代替医療に対する戦争を終わらせる」と発言しています。
特に重要なのは、FDA(食品医薬品局)が最近二酸化塩素に関する警告をウェブサイトから削除したことです。FDAは「通常のアーカイブ作業」と説明していますが、この措置が二酸化塩素支持者を勢いづかせる結果となっています。
ケネディ氏は2月の上院承認公聴会で二酸化塩素について言及しており、これにより関連コミュニティでの活動が活発化している状況です。
法的・倫理的な課題
現在の米国法では、未承認の薬物治療を実施するには厳格なFDA承認プロセスが必要です。Liu氏が主張する「ヘルシンキ宣言第37条」や「Right to Try法」による法的根拠について、専門家は「完全に誤解している」と指摘しています。
また、効果を証明する科学的証拠として提示されているのは、査読されていないプレプリント論文やWhatsAppの会話スクリーンショットのみという状況です。腫瘍専門医は「これらは効果の証拠にはならない」と厳しく批判しています。
技術的側面とメカニズム
Liu氏の研究論文によると、二酸化塩素は活性酸素種(ROS)様の特性を持ち、がん細胞を選択的に攻撃するとされています。理論的には、腫瘍内注射により正常組織への損傷を最小限に抑えながら、がん細胞の酸化ストレスによる死滅を図るものです。
しかし、これらの主張は動物実験レベルの研究に基づいており、人体での安全性や有効性は全く検証されていません。むしろ患者からの報告では、期待される効果とは逆の結果が示されています。
市場への影響と患者心理
1クール2万ドル(約300万円)という高額な治療費にもかかわらず、既存治療で効果が見られない末期がん患者にとって「最後の希望」として映る現実があります。100人以上の米国患者が臨床研究プログラムへの参加を希望しているという状況は、患者の切迫した心理状態を物語っています。
カリフォルニア州ビバリーヒルズのウィリアムズがん研究所が関心を示していることからも、一部の医療機関での実施可能性が懸念されます。
長期的な医療政策への影響
この事案は、科学的検証を経ない治療法の承認プロセスに関する根本的な問題を提起しています。ケネディ氏就任予定下での規制緩和が実現した場合、類似の未承認治療法が次々と登場する可能性があります。
一方で、正当な医学研究や革新的治療法の開発にも影響を与える可能性があり、医療業界全体での議論が必要な状況となっています。患者の「治療を受ける権利」と「安全性の確保」のバランスをどう取るかが、今後の重要な課題として浮上しています。
【用語解説】
二酸化塩素(ClO₂)
工業用消毒剤として使用される化学物質。水道水の浄化や表面消毒に限定的に用いられるが、人体への直接投与は危険とされる。Liu氏の治療では20,000ppmという高濃度で使用されている。
活性酸素種(ROS)
酸素から派生した反応性の高い分子群。がん細胞に酸化ストレスを与えて死滅させる作用があるとされるが、正常細胞にも損傷を与える可能性がある。
腫瘍内注射
薬物を腫瘍に直接注射する治療法。全身への副作用を抑えながら、局所的に高濃度の薬物を投与できる理論的利点がある。
ppm(parts per million)
100万分の1を表す濃度単位。Liu氏の治療で使用される20,000ppmは、通常の経口摂取用MMS(3,000ppm)の約6.7倍の高濃度である。
MMS(奇跡の鉱物溶液)
二酸化塩素を主成分とする偽医療製品。様々な疾患の「治療薬」として販売されているが、科学的根拠はなく、世界各国の保健当局が危険性を警告している。
プレプリント論文査読を受ける前に公開される研究論文。科学的妥当性の検証が完了していないため、医学的根拠としては不十分とされる。
Right to Try法米国で2018年に制定された法律。末期患者がFDA未承認の実験的治療を受ける権利を規定するが、厳格な条件がある。
【参考リンク】
CMC Rheinfelden(外部)
ドイツ・スイス国境に位置する私立クリニック。Liu氏の二酸化塩素治療を実施している唯一の公式施設
Williams Cancer Institute(外部)
カリフォルニア州ビバリーヒルズに拠点を置くがん治療専門機関。Liu氏の治療法に関心を示している
bioRxiv(外部)生物学分野のプレプリント論文公開サイト。Liu氏らの二酸化塩素がん治療に関する未査読論文を掲載
【参考記事】
Robert F. Kennedy Jr. confirmed as Trump’s health secretary(外部)
NPRによるケネディ氏の厚生長官就任予定に関する報道。代替医療支持による規制緩和の可能性を示唆
FDA warns about dangerous chlorine dioxide products(外部)
2020年のFDAによる二酸化塩素製品への警告に関する報道。COVID-19治療薬として販売された危険性を警告
【編集部後記】
医療技術の進歩と患者の「最後の希望」の間で、私たちはどのような基準で治療法を判断すべきでしょうか。
科学的検証を重視すれば革新的治療の可能性を狭めるかもしれませんし、患者の選択の自由を尊重すれば安全性のリスクが生じます。特にAI時代の医療では、データと人間の判断のバランスがより重要になってくると感じています。
みなさんは、もし大切な人ががんになった時、どのような基準で治療選択をされますか?
この複雑な問題について、ぜひお考えをお聞かせください。