ダイヤモンドの原子格子に窒素空孔センターと呼ばれる欠陥を導入することで、磁場、温度変化、電気信号を検出する量子センサーとして機能することが明らかになった。窒素原子が欠損した炭素原子の隣に位置するこの欠陥は、レーザーとマイクロ波で量子状態を操作でき、室温でも長期間コヒーレントな状態を保つ。医療では神経活動のリアルタイムマッピング、ナビゲーションではGPSに依存しない位置特定、材料科学では半導体内部の欠陥検出への応用が期待される。
ドイツ、オランダ、イギリスでダイヤモンドベースのセンサー開発が進められており、欧州連合は量子技術を戦略的優先事項と位置づけ、数十億ユーロを投資している。一方、新型コロナウイルスのパンデミック以降、天然ダイヤモンド宝飾品の売上は急落し、中国からの低コストの合成石が市場に流入している。デビアスなどの伝統的生産者は苦境に立たされている。
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Diamonds Reborn: How a Luxury Stone Is Becoming a Quantum Super-Material
【編集部解説】
ダイヤモンド量子センサーの技術的な本質を理解するには、まず「欠陥こそが価値」という逆説的な発想の転換が重要です。宝飾品としてのダイヤモンドは純度が命ですが、量子センサーとしては意図的に作り出した不完全性が機能の源泉となります。窒素原子と炭素原子の欠損が隣接することで生まれる窒素空孔センターは、電子を捕捉し、その量子状態を外部から制御できる「ナノスケールの測定器」として振る舞います。
この技術の革新性は、室温動作にあります。多くの量子技術は絶対零度に近い極低温環境を必要としますが、ダイヤモンドの化学的安定性により、量子状態のコヒーレンスが常温でも維持されるのです。この特性が、実用化への道を大きく開いています。
医療分野での応用は特に注目に値します。現在の脳活動測定には侵襲的な電極や、巨大で高価なMRI装置が必要ですが、ダイヤモンド量子センサーは非侵襲的かつ小型で、ニューロンが発する微弱な磁場を直接捉えることができます。これにより、てんかんやパーキンソン病など神経疾患の診断精度が飛躍的に向上する可能性があります。
ナビゲーション分野では、GPS信号への依存からの脱却という戦略的意義があります。軍事的にも民生的にも、衛星信号が遮断された環境下での自律航法能力は極めて重要です。量子ダイヤモンドベースの慣性センサーは、この課題への解決策を提供します。
一方で、技術的な課題も存在します。量子グレードのダイヤモンド製造には、欠陥の種類と密度を原子レベルで制御する必要があり、これを工業的規模で再現性高く実現することは容易ではありません。また、センサーシステム全体の小型化と堅牢化も、実用化への重要なステップとなります。
ダイヤモンド産業の観点からは、この技術転換は救済策以上の意味を持ちます。宝飾品市場が合成ダイヤモンドの価格崩壊に直面する中、「技術ダイヤモンド」は起源ではなく性能で評価される全く新しい市場を創出しています。
欧州が戦略的に量子技術への投資を拡大している背景には、半導体サプライチェーンへの依存を減らし、技術的主権を確保する狙いがあります。ダイヤモンド量子デバイスは、その戦略の重要な一翼を担う可能性を秘めています。
【用語解説】
窒素空孔センター
ダイヤモンドの結晶格子内で窒素原子が炭素原子に置き換わり、隣接する炭素原子が欠損している欠陥構造。この構造が電子を捕捉し、レーザーとマイクロ波で量子状態を操作できるため、ナノスケールのセンサーとして機能する。
量子センサー
量子力学の原理を利用して、磁場、温度、電気信号などを従来の古典的センサーでは不可能なレベルの精度で測定するデバイス。ダイヤモンドベースの量子センサーは室温で動作可能という利点を持つ。
コヒーレンス
量子状態が外部環境の影響を受けずに維持される性質。ダイヤモンドの化学的安定性により、窒素空孔センターの量子状態は室温でも長時間コヒーレントな状態を保つことができる。
慣性センサー
加速度や角速度を測定するセンサー。量子ダイヤモンドベースの慣性センサーは超高精度の磁力計や加速度計として機能し、GPS信号に依存しない航法システムの実現を可能にする。
新型コロナウイルスのパンデミック
2019年末に発生し、2020年代初頭に世界的な流行となったCOVID-19感染症の大流行。ダイヤモンド宝飾品市場はこの影響で需要が急落した。
【参考リンク】
デビアス公式サイト(外部)
1888年創業の世界最大級のダイヤモンド企業。天然および合成ダイヤモンドの採掘、取引、マーケティングを展開。
エレメントシックス公式サイト(外部)
デビアスグループ傘下の合成ダイヤモンド技術企業。産業用途向けの高品質合成ダイヤモンド製造で世界をリード。
ボッシュ クオンタム センシング公式サイト(外部)
2022年設立のボッシュ社内スタートアップ。2025年4月にエレメントシックスとの合弁企業として再編。
欧州委員会 量子技術ページ(外部)
欧州連合の量子技術戦略と投資計画を紹介。2030年までのグローバルリーダー戦略を掲載。
Quantum Flagship公式サイト(外部)
2018年開始の10年間10億ユーロ規模の欧州量子技術研究イニシアチブ。4分野で研究プロジェクトを支援。
【参考記事】
Entangled spins give diamonds a quantum advantage | ScienceDaily(外部)
カリフォルニア大学サンタバーバラ校による窒素空孔センターを用いた量子センシング技術の進展を報告。
Diamond Color Center Based Quantum Metrology in Industries for Energy Applications | ACS Omega(外部)
窒素空孔センターの室温動作とエネルギー分野への応用可能性を解説する学術論文。
Seeing the invisible with quantum sensing | SPIE(外部)
ボッシュのスマートフォンサイズプロトタイプやQnamiの商業化事例を紹介する技術記事。
Synthetic Diamond Market Size, Share & Industry Trends Forecast, 2030 | Mordor Intelligence(外部)
合成ダイヤモンド市場の成長予測とボッシュ・エレメントシックス提携の詳細を報告。
Commission launches strategy to make Europe Quantum leader by 2030 | European Commission(外部)
2025年7月発表の欧州量子技術戦略。2040年までの市場価値1550億ユーロ予測を提示。
Quantum technology: 32% of the companies, but only 6% of patents are from the EU | EU Science Hub(外部)
欧州委員会の2012-2024年の量子技術投資20億ユーロ以上と課題を分析した報告書。
【編集部後記】
「欠陥こそが価値」というパラドックスに、私たちは技術の本質を見る思いがします。完璧さを追求してきた宝飾品が、意図的な不完全性によって科学技術の最前線に立つ。この転換は、私たちが「価値」をどう定義するかという問いを突きつけているように感じます。みなさんは、この記事を読んで、ダイヤモンド産業の未来をどう思われますか。永遠の愛の象徴から、人類の健康や安全を守る技術へ。その意味の変容に、どんな可能性を見出されるでしょうか。

