2026年2月22日(日曜日)、OpenAIのエンジニアであるニック(Nik)・パッシュが開発したAI取引ボット「Lobstar Wilde」が、X上でユーザー「treasure David」に対し4 SOLを送金しようとした際、誤ってLobstarミームコインの全保有分(約5,300万枚、トークン総供給量の5%、約45万ドル相当)を送金した。トランザクション上の送金額は44万1,788ドル分のLOBSTARであった。パッシュはこのボットを金曜日に作成し、5万ドル相当のSOLを100万ドルに増やすことを目標としていた。受取人のデイビッドはこのトークンを即座に売却し、SolScanのデータによると約4万ドルの利益を得た。この一件を受け、Lobstarトークンの価格は24時間で32%上昇し0.01099ドルとなり、時価総額は1,100万ドルを超えた(Gecko Terminal調べ)。一部のXユーザーはこの出来事をトークンの宣伝行為であると指摘している。
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AI bot’s tipping blunder hands $450,000 memecoin pile to X sad story poster | MEXC News
【編集部解説】
今回の事件の技術的な核心は、ブロックチェーントークンにおける「小数点の桁数(decimal)」の取り扱いミスにあります。Xユーザー「BranchM」の分析によると、LOBSTARトークンのdecimalは6桁であるのに対し、USDCは9桁です。ボットは4 SOL相当の52,439トークンを送るつもりでしたが、UIに表示される数値とオンチェーンで処理されるraw amount(生の数値)を混同し、52,439,000トークン(約1,000倍)を送金してしまったと推測されています。
開発者のニック(Nik)・パッシュ自身も、エージェントフレームワーク「OpenClaw」の古いバージョンに起因するバリデーションエラーとメッセージの不正形成が原因であったと示唆しています。ただし、完全な原因究明には至っていないとも述べています。
この事件で注目すべきは、ブロックチェーン上のトランザクションが不可逆であるという根本的な特性です。一度秘密鍵で署名された送金は取り消すことができず、資金の回収は受取人の善意に完全に依存します。AIエージェントが人間の承認なしにウォレットを操作できる環境では、わずかな数値解釈の誤りが瞬時に大規模な損失へとつながる構造的リスクが存在します。
パッシュの経歴も、この事件に独自の文脈を加えています。The Blockの報道によると、パッシュはAIコーディングエージェント開発企業Clineで以前AI部門の責任者を務めていましたが、2025年12月にインド人開発者に対する差別的発言が批判を受けて解雇されました。その後、他のClineメンバー7名以上とともにOpenAIに合流し、エージェント構築プログラム「Codex」チームに所属しています。なお、Lobstar WildeはOpenAIの公式プロダクトではなく、個人プロジェクトです。
今回の出来事は、2024年のTruth Terminal事件と対比して理解するとより本質が見えてきます。研究者アンディ・エイリーが開発したAIチャットボットTruth Terminalは、ベンチャーキャピタリストのマーク・アンドリーセンから5万ドル相当のBitcoinを受け取り、GOATミームコインの時価総額を4億ドル超にまで押し上げました。しかしTruth Terminalの場合、エイリーが投稿を事前に確認しており、暗号資産の送受信も手動で行っていました。つまり「AIが物語を生む力(narrative power)」のデモンストレーションでした。
一方、Lobstar Wildeはウォレットへの直接アクセスを持つ自律型エージェントであり、「AIが価値を動かす力(execution power)」を——意図せずして——失敗という形で証明した事例です。この違いは、AIエージェントが暗号資産の世界で次のフェーズに移行しつつあることを示しています。
宣伝行為(publicity stunt)ではないかという疑惑も軽視できません。Xユーザーの指摘によると、受取人のウォレットが即座にトークンを売却し、その資金をすでに5万ドルが入っていた別のウォレットに送金している点が不自然だとされています。また、この事件後にLOBSTARの価格が急騰し、時価総額が1,500万ドルを超えたことを考えると、意図的な仕掛けだった可能性を完全には排除できません。
規制の観点からも、この事件は重要な問いを投げかけています。AIエージェントが独立してオンチェーン取引を実行できる現状では、送金上限の設定、マルチシグ承認、異常検知による緊急停止機能といったセーフガードの標準化が急務となっています。現在、こうした自律型エージェントの金融取引に関する明確な規制枠組みは存在しません。
長期的に見ると、Circle CEOのジェレミー・アレールが5年以内に数十億のAIエージェントがステーブルコインで日常的な決済を行うようになると予測しているように、AIと暗号資産の融合は加速する方向にあります。しかし今回の事件は、その未来が実現する前に、技術的なガードレールの整備が不可欠であることを私たちに突きつけています。
【用語解説】
ファットフィンガー(fat-finger)
金融取引において、金額や数量の入力を誤る操作ミスのこと。人間のトレーダーだけでなく、今回のようにAIエージェントでも発生し得る。
ミームコイン(memecoin)
インターネット上のミーム(ネタ)やジョークに着想を得て作られた暗号資産の総称。実用的な機能よりもコミュニティの話題性や投機によって価格が動く傾向が強い。
SOL(Solana)
高速・低コストのトランザクション処理を特徴とするブロックチェーンプラットフォーム、およびそのネイティブトークン。今回のLOBSTARトークンはSolana上で発行されている。
decimal(小数点桁数)
ブロックチェーン上のトークンが扱う小数点以下の桁数を定義するパラメータ。LOBSTARは6桁、USDCは9桁であり、この桁数の違いがraw amount(生の数値)とUI表示値の混同を引き起こしたとされる。
raw amount(生の数値)
ブロックチェーンの内部処理で使われる、小数点を含まない整数値のこと。ユーザーが目にする表示値とは桁が異なるため、APIからのレスポンスを正しく解釈しないと送金額の大幅な誤差につながる。
マルチシグ(multi-signature)
暗号資産の送金を実行するために、複数の秘密鍵による承認を必要とする仕組み。単一の鍵だけでは取引が成立しないため、誤送金や不正送金の防止策として用いられる。
Truth Terminal
研究者アンディ・エイリーが開発した半自律型AIチャットボット。2024年にマーク・アンドリーセンから5万ドル相当のBitcoinを受け取り、GOATミームコインの時価総額を4億ドル超に押し上げた。AIエージェントと暗号資産の融合を象徴する先行事例である。
AIエージェント
ユーザーの指示や環境の変化に応じて自律的にタスクを実行するAIプログラム。今回のLobstar Wildeのように、ソーシャルメディアでの対話やオンチェーン取引を人間の介入なしに行うものも登場している。
【参考リンク】
OpenAI公式サイト(外部)
Lobstar Wilde開発者が所属するAI研究企業。ChatGPTやCodexなどを展開。本件は個人プロジェクトである。
OpenClaw(GitHub)(外部)
Lobstar Wildeが使用したオープンソースAIエージェントフレームワーク。各種サービスと連携し自律的なワークフローを実行する。
SolScan(外部)
Solanaブロックチェーンのトランザクションやウォレットを閲覧できるエクスプローラー。今回の誤送金の検証にも使用された。
Gecko Terminal(外部)
CoinGecko運営のDEXリアルタイム価格追跡ツール。LOBSTARトークンの価格推移や時価総額データのソースとして引用された。
Solana公式サイト(外部)
LOBSTARトークンが発行された高速ブロックチェーン。低手数料と高スループットを特徴とし、DeFiやNFT分野で広く利用されている。
Lobstar Wilde(Xアカウント)(外部)
事件の当事者であるAI取引ボットの公式Xアカウント。トランザクションの公開や事件後のタスク配布もここで行われた。
【参考記事】
AI agent created by OpenAI dev ‘accidentally’ sends entire memecoin holdings to reply guy(外部)
The Blockによる一次報道。パッシュの経歴(Cline解雇→OpenAI入社)、受取人が15分以内に約4万ドルで売却した事実、その後トークンが42万ドル以上の価値になった経緯を詳報。LOBSTARの時価総額は1,500万ドルを超えた後に後退したと記載。
AI Agent Sends 5% Memecoin Supply in $250,000 Blunder — Inside the Lobstar Wilde Incident(外部)
CCNによる技術的詳細分析。送金額52,439,000トークン(総供給量10億の約5.2439%)を検証。2026年2月23日時点のLOBSTAR時価総額約1,240万ドル、流動性約44.9万ドルのデータを引用。
AI agent sends $441K in tokens after decimal error(外部)
Cointelegraph経由の報道。Xユーザー「Branch」による小数点エラー仮説(LOBSTAR 6桁 vs USDC 9桁)を詳述。LOBSTARが0.0038ドルから0.011ドルへ約190%上昇したデータを引用。
AI trading bot sends $250K by mistake and the internet can’t stop talking(外部)
Cybernewsによる報道。開発者パッシュがOpenClawの古いバージョンのバリデーションエラーが原因と示唆した発言を引用。事件後、トークン価値は67万ドル超まで上昇したと報告。
$250K Gone in Seconds: AI Trading Bot Lobstar Wilde Mistakenly Empties Treasury to X User(外部)
技術的観点からの分析。52,439トークンが52,439,000トークンになった小数点エラーの構造、スリッページの仕組み、推奨セーフガードについて解説。
【編集部後記】
AIエージェントが自らウォレットを持ち、暗号資産を動かす時代が始まっています。便利さの裏側にある「取り消せない一手」のリスクを、皆さんはどう捉えますか。自律的に動くAIにどこまで権限を委ねるべきか——この問いは暗号資産に限らず、私たちの日常にも広がっていきそうです。ぜひ皆さんの考えも聞かせてください。

