ケンブリッジ大学の研究者アーウィン・ライズナーとケイ・クワーテングは、廃車バッテリーから回収した酸と太陽光を利用し、ナイロン、ポリウレタン、飲料ボトルなどのプラスチック廃棄物を水素と酢酸に変換するリアクターを開発した。
このプロセスは「太陽光発電型酸性フォトリフォーミング」と呼ばれ、実験室では260時間以上にわたり性能を維持した。廃車バッテリーには体積比20〜40%の酸が含まれており、この酸を繰り返し使用できる。既存のフォトリフォーミング手法と比較してコストを約10分の1に削減できる可能性がある。研究成果は学術誌『Joule』に掲載され、商業化に向けて Cambridge Enterprise および UKRI の支援のもとで取り組みが進められている。
【編集部解説】
今回の研究が持つ最大の意義は、「廃棄物が別の廃棄物を解決する」という発想の転換にあります。廃車バッテリーの酸とプラスチック廃棄物——この二つの厄介な廃棄物を同時に処理し、クリーン水素と酢酸という有用な物質を生み出す。単なるリサイクル技術の改善ではなく、廃棄物そのものを資源システムの入口として再定義した点で、本研究は一線を画しています。
技術的な核心を少し噛み砕いて説明しましょう。これまでのフォトリフォーミング(光改質)技術は、アルカリ性の環境で動作することが前提でした。酸はあらゆるものを溶かしてしまうため、太陽光発電システムには「使えないもの」とされてきたのです。ライズナー教授自身が「発見はほぼ偶然だった」と語るように、酸の環境下でも溶けない光触媒の開発が、この研究の出発点となりました。論文によれば、その光触媒はコバルト・モリブデン硫化物と窒素化炭素を組み合わせた素材(CoMoS2-CNx)であり、260時間以上にわたって性能を維持したことが実証されています。
この技術がとくに注目に値するのは、対応できるプラスチックの種類の広さです。従来のフォトリフォーミング技術の多くはPET(ペットボトルなどに使われるポリエチレンテレフタレート)への対応に限られていました。今回の手法はナイロンやポリウレタンフォームにも対応しており、これらは現在のリサイクル体制では処理が極めて難しい素材です。衣料品や建材、自動車部品にも広く使われるこれらの素材に対応できる点は、実用上の意味が大きいと言えます。
コスト面でも注目すべき数字が示されています。研究チームは、他のフォトリフォーミング手法と比較して「1桁程度のコスト削減」の可能性を示唆しています。これは10分の1程度になりうるという意味であり、実験室レベルの研究にしては踏み込んだ主張です。酸が繰り返し使用できること、そして廃棄物として回収されるバッテリーの酸には追加コストがほぼかからないことが、この試算を支えています。
一方で、冷静に見ておくべき側面もあります。今回の成果はあくまでも実験室での検証です。腐食性の高い酸に耐えながら連続稼働できる産業用リアクターの設計は、これから解決すべきエンジニアリング課題です。また、廃車バッテリーの酸を回収するためのサプライチェーンの整備、安全管理のための規制対応など、商業化への道筋にはいくつかのハードルが残っています。
規制という観点では、廃バッテリー酸の回収・再利用は多くの国で「産業廃棄物」として厳格に管理されており、本技術の普及には既存の廃棄物処理法制との整合性を図る必要があります。とくに日本では廃棄物処理法や化学物質規制の枠組みが関係してくるため、国内展開を考える場合には制度設計の議論が不可欠です。
長期的な視点で見ると、この技術が示す可能性はプラスチック問題の解決にとどまりません。電動化の波によって今後、廃車バッテリーの量は飛躍的に増加します。リチウムイオン電池が主流になっていく中で、現在の鉛蓄電池由来の硫酸供給が長期的に維持されるかどうかは不透明ですが、廃棄物を資源として捉え直す「サーキュラー・ケミストリー」の思想そのものは、次世代の化学産業が向かうべき方向を示しています。
Cambridge Enterprise の支援のもとで商業化の検討が始まっている点は、単なる学術的発表にとどまらない本研究の実用志向を物語っています。太陽光、廃プラスチック、廃バッテリー酸——これらすべてが「問題」から「資源」へと姿を変える世界は、まだ遠い未来の話ではないかもしれません。
【用語解説】
フォトリフォーミング(光改質)
太陽光と光触媒を用いて、廃棄物中の有機物を水素や有機酸などの有用物質に変換するプロセスである。加熱や高圧を必要とせず、常温常圧で反応が進む点が特徴だ。従来は主にアルカリ性環境で動作するものが研究されてきたが、今回の研究で酸性環境への対応が初めて実証された。
光触媒
光のエネルギーを吸収することで化学反応を促進する物質の総称である。光が当たると電子と正孔(ホール)が生成され、これが酸化・還元反応を引き起こす。今回の研究では論文において、コバルト・モリブデン硫化物と窒素化炭素を組み合わせた素材(CoMoS2-CNx)が用いられたと報告されており、強酸性環境下でも分解されない耐酸性が新たな特長となっている。
エチレングリコール
プラスチックの一種であるPETを酸で分解した際に生成される化学物質である。不凍液や繊維の原料として工業的に利用されており、フォトリフォーミングにおいて光触媒が水素と酢酸を生成する際の中間体として機能する。
PET(ポリエチレンテレフタレート)
ペットボトルや衣類(ポリエステル繊維)に広く使用される熱可塑性プラスチックである。従来のフォトリフォーミング技術が主な対象としてきた素材だが、今回の技術はPETにとどまらずナイロンやポリウレタンにも対応している。
サーキュラー・ケミストリー
廃棄物や副産物を次の反応の原料として循環させる化学設計の思想である。廃車バッテリーの酸を繰り返し使いながらプラスチックを処理するという今回の仕組みは、この概念の実践例として位置づけられる。
【参考リンク】
ケンブリッジ大学(University of Cambridge)(外部)
英国・ケンブリッジに本拠を置く世界屈指の研究大学。今回の研究はユスフ・ハミード化学科のライズナー研究グループが主導した。
Cambridge Enterprise(外部)
ケンブリッジ大学のイノベーション・商業化部門。研究成果の社会実装を支援し、今回の研究の商業化も担っている。
Joule(学術誌)(外部)
Cell Press が発行するエネルギー科学分野の査読付き学術誌。今回の論文が2026年に掲載された。
UKRI(UK Research and Innovation)(外部)
英国政府が設立した研究・イノベーション支援機関。EPSRCなど複数の研究評議会を統括し、今回の研究にも資金提供している。
【参考記事】
Solar Reforming of Plastics using Acid-catalyzed Depolymerization(論文要旨)(外部)
光触媒 CoMoS2-CNx の水素収率データを含む一次資料。光触媒素材名の出典となっている。
Solar reactor turns plastic and battery waste into clean hydrogen|Interesting Engineering(外部)
コスト削減の根拠と既存リサイクルへの補完的役割について丁寧に解説した技術系メディアの報道記事。
Solar Reactor Turns Plastic Into Hydrogen|Electronics For You(外部)
廃バッテリー酸が硫酸(sulfuric acid)であることを明記。バッテリー酸の化学的性質の確認に活用した記事。
Researchers turn recovered car battery acid and plastic waste into clean hydrogen|EurekAlert!(外部)
米国科学振興協会(AAAS)運営の科学報道プラットフォーム。原文との照合に活用した信頼性の高い配信記事。
Scientists Convert Used Car Battery Acid and Plastic Waste into Clean Hydrogen|Bioengineer.org(外部)
バッテリー酸の廃棄プロセスと循環経済的意義を詳しく解説。コスト1桁削減の文脈確認に活用した記事。
【編集部後記】
今回の研究を取り上げながら、私たちが何度も立ち止まったのは「偶然の発見」という言葉でした。厳密に設計された実験の積み重ねの中で、ある日突然「溶けなかった」という事実が、まったく新しい扉を開いた。科学の進歩には、こうした予期せぬ瞬間が宿っているのだと改めて感じます。
プラスチック問題も、水素エネルギーも、廃バッテリーの処理も——それぞれ単独では重い課題です。しかし三つが一つの系の中で結びついたとき、問題は一変して可能性になる。この視点こそ、innovaTopia が「Tech for Human Evolution」という理念のもとで追い続けたい未来の形です。引き続きご愛読をよろしくお願いいたします。

