Connect with us

量子コンピューターニュース

シスコが発表した新技術―実用化を10年早めるとも言われる量子ネットワークの最前線

Published

on

 - innovaTopia - (イノベトピア)

ネットワーク技術の巨人シスコシステムズは、量子コンピュータのネットワーキングを目的とした試作チップ「量子ネットワークエンタングルメントチップ」を発表した。同時に、量子技術研究を推進するため、カリフォルニア州サンタモニカに新たな研究施設「Cisco Quantum Labs」を開設した。

このチップは、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)との共同研究により開発されたフォトニック集積回路(PIC)であり、既存の光ファイバーインフラを活用し、室温で動作する点が特徴である 。チップはIII-V族半導体導波路における自発的四光波混合プロセスを利用し、シリコンウェハプラットフォーム上に構築されている 。

チップは、光子のペアに量子エンタングルメント(量子もつれ)を生成し、これらの光子を介して、距離に依存しない瞬間的な情報伝達(量子テレポーテーションの原理に基づく)を可能にする 。プロトタイプは、1チャネルあたり毎秒100万以上、チップ全体で最大毎秒2億のエンタングルメントペアを高忠実度(99%)で生成可能でありながら、消費電力は1mW未満と極めて効率的であると報告されている 。

シスコの目標は、この技術を通じて複数の小規模な量子コンピュータを連携させ、より大規模で実用的な量子コンピューティングシステムを構築することにある。これにより、量子技術の実用化を従来予測されていたよりも最大10年早めることを目指している 。

from:https://www.fastcompany.com/91329302/cisco-quantum-computing-new-entanglement-chip-timeline

【編集部解説】

シスコシステムズが最近発表した「量子ネットワークエンタングルメントチップ」の試作成功と、専門研究施設「Cisco Quantum Labs」の開設は、量子コンピューティング分野における重要なマイルストーンとして、世界中の技術者や研究者から大きな注目を集めています。これは単に新しい部品が開発されたというニュースに留まらず、量子コンピュータがその真価を社会で発揮するための、まさに「次の一手」と呼ぶべき戦略的な動きなのです。

なぜ量子「ネットワーク」が重要なのでしょうか?

現在の量子コンピュータは、特定の計算において既存のスーパーコンピュータを凌駕する可能性を秘めていますが、その能力を最大限に引き出すには、まだいくつかの課題があります。特に、安定して扱える「量子ビット」の数を大幅に増やすこと(スケーラビリティ)が大きな壁となっています。現在の最先端の量子プロセッサでも数百量子ビット程度であり、実用的なアプリケーションの多くは数百万量子ビットを必要とすると言われています 。

ここで登場するのが「量子ネットワーク」という考え方です。個々の量子コンピュータの能力に限界があるならば、それらを高性能なネットワークで相互接続し、あたかも一つの巨大な量子コンピュータのように協調動作させる「分散量子コンピューティング」環境を構築すればよい、というアプローチです 。

アナロジー:専門家チームによる超難問解決

一台のコンピュータよりも、インターネットで繋がった多数のコンピュータが遥かに大きな力を持つように、個々の量子コンピュータを高性能なネットワークで結びつけることができれば、扱える問題の規模や種類が飛躍的に拡大すると期待されています。一人の天才的な専門家(個々の量子コンピュータ)に超難問を解かせるのには限界があります。しかし、多数の専門家たちがリアルタイムで情報を共有し、それぞれの得意分野を活かして協力できる「超高速なオンライン会議システム」(量子ネットワーク)があれば、より複雑で大規模な問題を解決できるようになります。

シスコの今回の発表は、まさにこの量子コンピュータ同士を繋ぐための核心技術に関するものです。彼らは量子プロセッサそのものを開発するのではなく、それらを繋ぐ「通信路」と、そこで情報を効率的かつ正確にやり取りするための「交通整理」の仕組みを構築しようとしています。このアプローチは、従来のインターネットの黎明期からネットワークインフラの標準を築き上げてきたシスコの歴史と強みに合致する戦略と言えるでしょう 。量子ハードウェアの分野では多くの企業や研究機関が様々な方式(超伝導、イオントラップ、光方式など)で開発競争を繰り広げていますが、シスコはこれらの異なる方式の量子コンピュータを接続する共通の基盤を提供することを目指しています。これにより、特定のハードウェア方式の勝者を選ぶことなく、量子コンピューティングエコシステム全体の発展に貢献できる立場を築こうとしているのです。

シスコの「量子エンタングルメントチップ」:何がすごいのか?

このチップの核心技術は、「量子エンタングルメント(量子もつれ)」という、私たちの日常感覚からは少し不思議に思える量子力学特有の現象を利用している点にあります。

量子エンタングルメントとは?
非常に簡単に表現するならば、ペアになった2つの量子ビット(量子情報の最小単位)が、どれほど遠く離れていても、一方の状態を観測して確定すると、もう一方の状態も瞬時に確定するという、運命共同体のような特別な相関関係を持つ現象です。この現象は、かのアルバート・アインシュタインでさえ「奇妙な遠隔作用 (spooky action at a distance)」と呼び、その不可解さに頭を悩ませたほどです 。

アナロジー:「魔法のコイン」
特別な「魔法のコイン」のペアを想像してみてください。これらのコインは互いに繋がっています。見る前は、それぞれのコインは回転しており、表が出るか裏が出るか決まっていません(これが「重ね合わせ」の状態です)。しかし、片方のコインを手に取って結果(例えば「表」)を確認した瞬間、どれほど遠く離れた場所にあっても(たとえ銀河の反対側でも!)、もう片方のコインの結果も瞬時に確定します(この例では、もしコインが常に同じ面を出すようにエンタングルしていれば「表」、反対の面を出すようにエンタングルしていれば「裏」となります)。重要なのは、最初のコインを「観測」するまでは結果が不確定であり、観測行為がもう一方のコインの確定的な結果に瞬時に影響を与えるという点です。この距離を超えた即時的な相関関係が、エンタングルメントを通信において非常に強力なものにしています。

シスコのチップは、光の粒子である「光子」のペアをエンタングル状態にし、それを利用して量子コンピュータ間で情報を伝送します。具体的には、III-V族半導体導波路における自発的四光波混合というプロセスを用いて、光子ペアを効率的に生成します 。

チップの注目すべき特徴

このチップが実用化に向けて大きな期待を集める理由は、以下の特徴に集約されます。

1. 室温動作 (Room Temperature Operation): 多くの量子デバイスは、量子状態を安定させるために極低温(ほぼ絶対零度)環境を必要としますが、シスコのこのチップは室温で動作します 。これは、大掛かりで高価な冷却装置のコストや運用上の複雑さを大幅に削減し、既存のデータセンターなどへの導入を格段に容易にする、非常に大きな実用上の利点です。

2. 既存インフラとの互換性 (Compatibility with Existing Infrastructure): このチップは、現在広く普及している光ファイバー通信で使われる標準的なテレコム波長で動作します 。これにより、全く新しい通信インフラを敷設することなく、既存の光ファイバー網を活用して量子ネットワークを構築できる可能性が広がります。これは、量子ネットワークの迅速な展開とコスト効率の向上に直結します。

3. フォトニック集積回路(PIC)技術 (Photonic Integrated Circuit – PIC Technology): チップは、光技術をベースにしたフォトニック集積回路(PIC)として設計されています 。これにより、デバイスの小型化、製造コストの低減(半導体製造プロセス応用による量産効果)、そして1mW未満という驚異的な低消費電力を実現しています 。これらの要素は、量子ネットワーク機器を現実的なサイズとコストで提供するために不可欠です。

4. 高性能なエンタングルメント生成 (High-Performance Entanglement Generation): プロトタイプでありながら、1チャネルあたり毎秒100万ペア以上、チップ全体では最大毎秒2億ペアという非常に高いレートで、かつ99%という高い忠実度(正確さ)でエンタングル光子ペアを生成できると報告されています 。これは、実用的な量子通信や分散量子計算に必要な「量」と「質」を兼ね備えていることを示唆し、量子ネットワークの性能を大きく左右する重要な指標です。

これらの画期的な特徴の組み合わせは、単に実験室レベルの成果ではなく、実用的な量子ネットワークの構築に向けた明確な道筋を示すものです。室温動作、既存インフラの活用、PICによる集積化と低コスト化、そして高性能なエンタングルメント生成能力。これらが揃うことで、シスコのチップは、実用的な量子コンピューティングの実現を「最大で10年早める可能性がある」とまで言われています 。これは、量子技術が私たちの社会にもたらす変革を、より早期に体験できるかもしれないという、大きな期待を抱かせるものです。

Cisco Quantum Labs と将来の展望

今回の発表は、エンタングルメントチップだけに留まりません。シスコはカリフォルニア州サンタモニカに「Cisco Quantum Labs」という専門の研究施設を新設しました 。このラボは、エンタングルメントチップのさらなる改良はもちろんのこと、量子ネットワークを実際に機能させるために不可欠な、より広範な技術スタックの研究開発を加速させるための拠点となります。

具体的には、エンタングルメントを効率的に遠くまで分配するためのプロトコル、複数の量子プロセッサに計算タスクを分割・調整する分散量子コンピューティングコンパイラ、開発者が量子ネットワークアプリケーションを容易に構築するための量子ネットワーク開発キット(QNDK)、そしてセキュリティの基礎となる高品質な乱数を生成する量子乱数生成器(QRNG)などの開発が進められています 。これらのソフトウェアやプロトコル群は、高性能なハードウェア(チップ)の能力を最大限に引き出し、開発者が容易に量子ネットワークの利点を活用できるようにするために不可欠です。特にQNDKの提供は、量子ネットワーク技術の普及とエコシステム形成に向けた重要な布石と言えるでしょう。

シスコが目指しているのは、特定の量子コンピュータ技術(例えば、超伝導方式やイオントラップ方式など)に限定されず、将来登場するであろう様々な種類の量子コンピュータを相互接続できる「ベンダー非依存」のフレームワークを構築することです 。これは、現在のインターネットが様々なメーカーのコンピュータやデバイスを繋いでいるように、将来の「量子インターネット」においても、シスコがその基盤となるネットワーク技術を提供するという、壮大かつ長期的なビジョンに基づいています。このベンダー非依存戦略は、量子コンピュータのハードウェア開発競争が依然として流動的である現状において、シスコ自身のリスクを低減すると同時に、多様な量子技術の発展を促す触媒としての役割を果たす可能性を秘めています。共通のネットワーク基盤が存在することで、各ハードウェア開発者は自身のコア技術に集中でき、結果としてエコシステム全体のイノベーションが加速されることが期待されます。

期待される応用分野と社会への影響

量子ネットワークによって相互接続された、強力でスケーラブルな量子コンピュータが実現すれば、私たちの社会の様々な分野で、これまで解決不可能だった問題へのブレークスルーが期待されます。

新薬開発・材料科学: 分子構造や化学反応の極めて複雑なシミュレーションが現実的な時間で行えるようになり、副作用の少ない画期的な新薬や、環境負荷の低い新素材、高効率な触媒などの開発が劇的に加速する可能性があります 。

金融・物流の最適化: 金融市場におけるリスク分析やポートフォリオ最適化、あるいは複雑なサプライチェーンや交通網における配送ルートの最適化など、膨大な組み合わせの中から最良解を見つけ出す問題解決能力が飛躍的に向上します。シスコは特に、金融取引における超精密な時刻同期や安全な意思決定シグナリングなど、量子ネットワークの原理を応用して現在の古典システムに直接的な利益をもたらすユースケースにも着目しています 。これは、本格的な量子コンピュータの普及を待たずとも、量子技術の利点を早期に享受しようとする現実的なアプローチであり、市場のニーズに応えるものです。

人工知能(AI)の進化: より高度な機械学習モデルのトレーニングや、複雑なパターン認識、自然言語処理といったAI分野の計算能力を大幅に向上させ、AIの新たな可能性を切り拓くかもしれません 。

セキュアな通信: 量子エンタングルメントを利用した量子鍵配送(QKD)など、原理的に盗聴が不可能な究極のセキュリティを持つ通信ネットワークの実現が期待されます。これにより、国家機密や企業秘密、個人のプライバシー保護が格段に強化されるでしょう 。

量子技術の進展と考慮すべき点

量子コンピュータが持つ桁外れの計算能力は、大きな可能性 (Promise) を秘めている一方で、新たな課題 (Peril) も生み出します。その最も代表的なものが、現在のインターネット通信やデータ保護の基盤となっている公開鍵暗号システム(RSA暗号など)を容易に解読してしまうリスクです 。これは、私たちのデジタル社会の安全性や信頼性を根底から揺るがしかねない深刻な問題であり、「量子コンピュータによる暗号の危機」として認識されています。

シスコもこの点を深く認識しており、積極的に対策を進めています。具体的には、将来の量子コンピュータによる解読にも耐えうるとされる新しい暗号方式「耐量子計算機暗号(Post-Quantum Cryptography, PQC)」の標準化動向を注視し、自社のネットワーク機器やセキュリティ製品ポートフォリオ全体へのPQC導入を計画・実行しています 。これは、量子技術の恩恵を安全に享受するための不可欠な取り組みです。

【用語解説】

量子コンピュータ (Quantum Computer): 量子力学の特有な現象「重ね合わせ」や「量子もつれ」を計算に応用し、特定問題で従来型コンピュータを圧倒する処理能力を持つ計算機。新薬開発や複雑な最適化問題への応用が期待される。

量子ビット (Qubit): 量子コンピュータで情報を表す基本単位。0であり1でもある「重ね合わせ」状態を取れ、古典ビットより遥かに多くの情報を保持・処理可能。その振る舞いはブロッホ球で視覚化される。

量子エンタングルメント (Quantum Entanglement / 量子もつれ): 複数の量子ビットが、空間的に離れていても互いの状態が密接に結びつく現象。一方の観測結果が、もう一方の状態を瞬時に決定づける。量子通信や分散量子計算の基盤技術。

量子ネットワーク (Quantum Network): 量子ビットやエンタングル状態といった量子情報を、光ファイバー等を通じて伝送・共有するための通信インフラ。量子コンピュータ間の連携や究極の安全性を目指す量子暗号通信を実現する。

フォトニック集積回路 (Photonic Integrated Circuit – PIC): 光(フォトン)を操る複数の光デバイス(レーザー、導波路、変調器等)を、半導体チップ上に高密度に集積した回路。小型・低消費電力で高速な光情報処理を実現する。

【参考リンク】

Cisco Quantum Research(外部)
シスコの量子技術に関する研究開発の公式情報ハブ。関連論文やブログへのポータル。

Cisco Newsroom Blog: Quantum Networking: How Cisco is Accelerating Practical Quantum Computing(外部)
シスコによる今回の量子ネットワークチップとラボ開設に関する公式発表ブログ記事。

Outshift by Cisco Blog: Building the fabric of quantum networking: Inside Cisco’s Quantum Data Center vision(外部)
シスコの先進技術部門Outshiftが解説する、量子データセンター構想とエンタングルメントチップ技術詳細。

UC Santa Barbara Quantum Photonics Lab (Prof. Galan Moody)(外部)
本チップ共同開発パートナー、カリフォルニア大学サンタバーバラ校 量子フォトニクス研究所の公式サイト。

【編集部追記】

量子コンピュータニュースをinnovaTopiaでもっと読む

量子コンピューターニュース

大阪大学「純国産」量子コンピュータが稼働開始、万博で一般体験も可能に

Published

on

 - innovaTopia - (イノベトピア)

2025年7月28日、大阪大学の研究室で静かに稼働を始めた一台の量子コンピュータが、日本の技術的未来を大きく塗り替える可能性を秘めています。それは世界で初めて、ハードウェアからソフトウェアまで完全に「Made in Japan」で構築された純国産量子マシンです。

-273℃の極低温世界で踊る28個の量子ビット。アルバックの希釈冷凍機、キュエルの制御装置、そして世界初の完全オープンソース量子OS「OQTOPUS」——これら全てが日本の技術力の結晶として一つのシステムに統合されました。

しかし、この量子コンピュータの真の革新性は技術仕様だけにあるのではありません。8月14日から始まる大阪・関西万博では、来場者が手持ちのiPadから直接この量子マシンにアクセスし、量子もつれという宇宙の神秘を自らの指先で操作できるのです。

科学の最前線が、ついに私たちの手の届く場所にやってきました。


大阪大学量子情報・量子生命研究センター(QIQB)は2025年7月28日、主要部品・パーツやソフトウェアが全て日本製となる「純国産」超伝導量子コンピュータの稼働を開始した。開発は根来誠副センター長、理化学研究所の中村泰信センター長、アルバック、アルバック・クライオ、イーツリーズ・ジャパン、キュエル、QunaSys、セック、TIS、富士通量子研究所らの共同研究グループが担当した。

希釈冷凍機、制御装置、超伝導量子ビットチップ、量子クラウドソフトOQTOPUSなどの主要パーツとソフトウェアを全て国産化した。7月28日時点で28量子ビット以上の制御が可能である。8月14日から20日まで大阪・関西万博で開催される企画展「エンタングル・モーメント―[量子・海・宇宙]×芸術」では、来場者がiPadを通じてクラウド経由で本システムにアクセスし、最大4量子ビットの量子プログラムを体験できる。本システムは全てのソフトウェアスタックがオープンソースで構成されており、世界でも類を見ない特徴を持つ。

From:  - innovaTopia - (イノベトピア)「純国産」量子コンピュータ、7月28日稼働! 万博会場からクラウド接続し、来場者に新しい”量子体験”も予定!

【編集部解説】

大阪大学の「純国産」量子コンピュータが稼働開始したというニュースは、実は日本の量子技術戦略における極めて重要な転換点を示しています。

確認された事実として、この量子コンピュータは28量子ビット以上の制御が可能で、システム全体のソフトウェアスタックが世界で初めて完全にオープンソースで構築されている点が画期的です。従来、IBMやGoogleなどの海外大手企業の量子クラウドサービスでは、中核ソフトウェアはブラックボックス化されており、この完全オープンソース化は世界でも前例がありません。

この純国産システムの最大の意義は、技術的自立性の確保にあります。これまでの理研初号機では希釈冷凍機など重要部品の一部を海外製品に依存していましたが、今回は-273℃の極低温を実現する希釈冷凍機もアルバック製の国産品を使用しています。量子コンピュータは将来の基幹産業になる可能性が高く、サプライチェーンの安全保障の観点から自製技術の保有は戦略的に重要です。

技術的な側面から見ると、この純国産機の性能は既に実用レベルに達しています。1量子ビットゲート忠実度の中央値が99.9%、2量子ビットゲート忠実度が最大98%という数値は、国際的にも競争力のある水準です。また、3号機での稼働率86%という実績は、システムの安定性を証明しています。

万博での一般公開が持つ意味も看過できません。来場者がiPadからクラウド経由で実際の量子コンピュータにアクセスできる体験は、量子技術の社会的普及において重要な役割を果たします。これは単なるデモンストレーションではなく、量子ソフトウェアコンソーシアムの40機関という産学連携のエコシステムの成果でもあります。

将来への影響を考えると、この純国産化により日本は量子技術分野でのアジア地域のハブとしての地位を確立する可能性があります。特に、OQTOPUS(Open Quantum Toolchain for OPerators and USers)の完全オープンソース化は、世界中の研究者や企業が利用可能であり、日本発の量子ソフトウェア標準として普及する可能性を秘めています。

一方で、この純国産システムが直面する課題も存在します。現在の28量子ビットから、実用的な量子優位性を実現するには少なくとも数百から数千量子ビットが必要とされます。富士通とRIKENが既に256量子ビット機を発表しており、さらなる大規模化競争が激化することは確実です。

また、量子エラー訂正の実現という技術的難題も残されています。現在のシステムでは10月末までに100量子ビット弱への拡張が予定されていますが、フォルトトレラント量子コンピュータの実現には論理量子ビットあたり数千から数万の物理量子ビットが必要とされています。

しかし、この純国産システムの成功は、日本が量子技術の全スタックを自製できる技術力を証明した点で歴史的意義を持ちます。2025年が国際量子科学技術年として宣言された今、日本発の量子技術が世界標準となる可能性を秘めた重要な一歩と言えるでしょう。

【用語解説】

量子コンピュータ:量子力学の原理に従って動作する量子ビットを情報の最小単位として計算を行うコンピュータ。従来のコンピュータにはない量子重ね合わせや量子もつれを利用することで、分子中の電子状態などの量子的な振る舞いを効率的にシミュレーションできる。

希釈冷凍機:質量数が異なる2種類のヘリウム(液体ヘリウム4と液体ヘリウム3)を混合するときに生じる吸熱効果を利用して、約-273℃(10mK)まで温度を下げる冷凍機。超伝導量子ビットの動作に必要な極低温環境を実現する。

量子もつれ(エンタングル):二つの量子ビットのうちの一方の状態を観測した際に、もう片方がその量子ビットの状態と必ず逆の状態が現れるような強く相関した状態のこと。古典力学や古典電磁気学では説明できない量子力学特有の現象である。

国際量子科学技術年(IYQ):1925年にハイゼンベルグが発見した量子力学の理論誕生から100年を迎えた2025年を、国連が宣言したユネスコの記念年。量子科学技術の普及と理解促進を目的とする。

オープンソースソフトウェア(OSS):ソースコードが公開されており、誰でも自由に利用、改良、再配布できるソフトウェア。従来のコンピュータではLinuxを初めとして様々なOSSが根幹を支えている。

【参考リンク】

大阪大学量子情報・量子生命研究センター(QIQB)(外部)大阪大学の量子技術研究拠点。国際量子科学技術年の日本初の公式パートナーに就任

OQTOPUS公式サイト(外部)世界最大規模のオープンソース量子コンピュータクラウド基盤ソフトウェア

TIS株式会社(外部)量子コンピュータクラウドサービス基盤ソフトウェア開発に参画

エンタングル・モーメント公式サイト(外部)大阪・関西万博での量子・海・宇宙をテーマとした企画展

【参考記事】

TIS、QunaSys、阪大らによるオープンソース量子コンピュータクラウド基盤の研究開発(外部)OQTOPUS開発チームの正式な役職・組織体制の詳細情報

OQTOPUS: Researchers launch open-source quantum computer operating system(外部)世界最大規模のオープンソース量子ソフトウェアイニシアチブとして評価

量子コンピュータクラウドサービスの基盤ソフトウェア「OQTOPUS」を公開(外部)ITメディアによるシステムアーキテクチャの技術的特徴解説

富士通 上小田中に量子棟を建設 次世代コンピュータ設置(外部)2026年度中に1000量子ビットコンピュータ設置予定の報道

【編集部後記】

今回の純国産量子コンピュータの稼働開始は、日本の技術的自立という観点で非常に興味深い出来事です。特に注目したいのは、全てのソフトウェアがオープンソースで構築されている点です。これは従来の「クローズドな量子クラウド」の常識を覆す試みと言えるでしょう。

皆さんは、なぜ日本がこのタイミングで「純国産」にこだわったと思われますか?また、万博での一般公開体験は量子技術の社会実装にどのような影響をもたらすでしょうか?量子技術が私たちの日常にどう浸透していくのか、ぜひ一緒に考えてみませんか。

Continue Reading

量子コンピューターニュース

オーストリア科学アカデミーが95%精度で量子時間逆行に成功、量子コンピュータのエラー修正技術に革命

Published

on

By

オーストリア科学アカデミーが95%精度で量子時間逆行に成功、量子コンピュータのエラー修正技術に革命 - innovaTopia - (イノベトピア)

オーストリア科学アカデミーとウィーン大学の研究チームが、量子システムにおいて時間を逆行させる手法を開発し、平均95%以上の忠実度を達成した。

研究はMiguel NavascuésとPhilip Waltherが主導し、成果はOptica誌に発表された。実験では単一光子の偏光にクビットを符号化し、サニャック干渉計を通してUとVという2つの進化パターンを重ね合わせ状態で実行した。

量子スイッチという装置を使用し、システムの内部構造や初期状態の詳細な知識なしに量子粒子を以前の状態に復元することに成功した。テストは50の異なる進化の組み合わせ、4つの初期状態、3つの時間ステップ長で実施され、3週間で1800回の実験を行った結果、忠実度は93%以上を維持し、一部は97%に達した。

この技術は量子コンピュータのエラー修正への応用が期待され、1秒の量子進化を1秒で巻き戻すリアルタイム処理が可能である。

From:文献リンクUsing Quantum Physics, Researcher Have Succeeded to “Reverse Time” With Astonishing Precision

【編集部解説】

オーストリア科学アカデミーとウィーン大学による「量子時間逆行」技術は、一見SFのような響きですが、実は極めて実用的な技術革新です。

この研究の核心は、量子システムにおいて95%以上の精度で粒子を「以前の状態」に戻すことに成功した点にあります。重要なのは、この技術が「システムの内部構造を知らずに実行できる」ことです。これは量子コンピュータのエラー修正において革命的な意味を持ちます。

現在の量子コンピュータは、外部からのノイズや相互作用によってデータが容易に破損してしまうという課題を抱えています。従来のエラー修正手法では、エラーの詳細を把握し、複雑な修正プロセスを実行する必要がありました。しかし今回の技術により、「何が起こったか分からなくても、システムを以前の正常な状態に戻せる」という画期的な能力が実現しました。

この技術のユニークな点は、1秒の量子進化を巻き戻すのに正確に1秒しかかからない「リアルタイム処理」である点です。これは従来手法と比較して3倍の高速化を実現しており、実用的な量子コンピュータの運用において極めて重要な改善となります。

実験では、単一光子の偏光状態を利用し、「量子スイッチ」と呼ばれる装置を通じて2つの異なる進化パターンの重ね合わせ状態を作り出しました。これにより、光子は「2つの時間経路を同時に辿る」という量子力学特有の現象を活用して、元の状態への復帰を可能にしています。

研究は理論チームを率いるMiguel Navascuésと実験チームを率いるPhilip Waltherの協力により実現され、実験論文の筆頭著者はPeter Schianskyです。50の異なる進化パターン、4つの初期状態、3つの時間ステップで1,800回の実験を実施し、93-97%の忠実度を達成しました。この高い成功率は、実用的な量子エラー修正技術としての可能性を強く示唆しています。

将来的な応用範囲も注目すべき点です。現在は光子を使用していますが、理論上は冷却原子やイオントラップなど他の量子システムにも適用可能とされています。また、同じ研究チームは時間を「早送り」する手法についても理論的な開発を進めています。

この技術の意義は、量子コンピュータの商用化において最大の障壁であるエラー率の改善に直結することです。現在の量子プロセッサは約0.1-1%のエラー率を持ちますが、実用的な量子コンピュータには10^-15レベルの精度が必要とされています。今回の巧妙な「巻き戻し」機能が統合されれば、この巨大なギャップを埋める重要な技術的基盤となる可能性があります。

人間レベルでの時間巻き戻しについては、研究者は現実的な評価を示しています。人間一人の量子情報を1秒分巻き戻すのに数百万年が必要とされており、実用性はありません。しかし量子プロセッサのような制御された環境では、この技術は極めて強力なツールとなるでしょう。

この研究は、量子コンピュータが実験室から実世界へと飛躍する上で欠かせない「信頼性」という要素に革新的なアプローチを提供しています。まさに「未来のコンピューティング」を支える基盤技術として、我々の注目に値する発展と言えるでしょう。

【用語解説】

量子スイッチ(Quantum Switch)
量子システムにおいて2つ以上の量子チャンネルが作用する順序を制御する装置。重ね合わせ状態により、複数の進化経路を同時に処理できる。

サニャック干渉計(Sagnac Interferometer)
光子を2つの異なる経路で伝播させ、その干渉パターンを観測する光学装置。量子実験では量子状態の精密制御に使用される。

忠実度(Fidelity)
量子状態がどの程度正確に目標状態と一致しているかを示す指標。1(100%)に近いほど精度が高い。

クビット(Qubit)
量子ビット。量子コンピュータの基本情報単位で、0と1の重ね合わせ状態を取ることができる。

重ね合わせ状態(Superposition State)
量子粒子が複数の状態を同時に存在できる量子力学特有の現象。観測するまで全ての可能性が共存する。

量子エラー修正(Quantum Error Correction)
量子システムにおいて外部ノイズや干渉によって生じるエラーを検出・修正する技術。

【参考リンク】

オーストリア科学アカデミー(外部)
1847年設立の国立アカデミー。量子光学・量子情報研究所を運営し、基礎研究から応用研究まで幅広い分野をカバー

ウィーン大学(外部)
1365年創立のヨーロッパ最古級の大学。9万人以上の学生を擁し、20の学部で186の学位プログラムを提供

Optica出版グループ(外部)
光学・フォトニクス分野の世界的学術団体。本研究が掲載されたOptica誌を含む権威ある学術出版事業を展開

【参考記事】

Reversing Unknown Quantum Transformations(外部)
2023年にOptica誌発表の原著論文。量子変換の逆操作理論と実験結果を詳述

We have made science fiction come true(外部)
Miguel Navascués研究者による量子時間制御技術のEl País紙インタビュー記事

【編集部後記】

量子時間逆行技術のニュースを読んで、どのような感想を抱かれたでしょうか。SFの世界だと思っていた「時間の巻き戻し」が、実験室レベルとはいえ現実になりつつあります。

この技術が量子コンピュータの実用化を加速し、私たちの日常にどのような変化をもたらすのか、一緒に想像してみませんか。量子エラー修正の革新は、暗号化技術や創薬研究、金融計算など、あらゆる分野に波及効果を与える可能性があります。皆さんは、どの分野での応用に最も期待されますか?

また、このような基礎研究の進歩が社会実装されるまでのプロセスについて、どのようなお考えをお持ちでしょうか。
ぜひ、未来への期待と不安を共有していただければと思います。

量子コンピューターニュースをinnovaTopiaでもっと読む

Continue Reading

量子コンピューターニュース

量子エンジニア資格認定試験(ゲート型)エントリー:解説講座(1/2:理論編)【JQCA公認】

Published

on

 - innovaTopia - (イノベトピア)

量子産業元年として迎える2025年

2025年は「国際量子科学技術年(International Year of Quantum Science and Technology:IYQ)」として国連により制定されています。これは、1925年にハイゼンベルクが行列力学と呼ばれる量子力学の定式化を完成させた論文が出版されてから100年という記念すべき節目を迎えるためです。

国連による宣言では、この1年間にわたる世界規模の取り組みは「量子科学とその応用の重要性に対する一般の認識を高めることを目的としたあらゆるレベルの活動を通じて実施される」とされており、量子技術の社会実装に向けた大きな転換点となることが期待されています。

日本においても、大阪大学QIQBが国内初のIYQ公式パートナーに就任するなど、量子技術の発展において重要な役割を担う体制が整いつつあります。2025年は、まさに日本にとっても「量子産業元年」と呼ぶべき年になるでしょう。

ゲート型量子コンピュータとは何か

量子コンピュータは、量子力学の原理を計算に応用した革新的な計算機です。特に「ゲート型量子コンピュータ」は、従来のコンピュータとは根本的に異なる動作原理を持っています。

従来のコンピューターはバイナリ・ビット(0と1)を使用してデータを保管および処理しますが、量子コンピューターは量子ビット(またはキュービット)を重ね合わせて使用することで、さらに多くのデータを一度にエンコードできます。

この「重ね合わせ」という量子力学の現象により、2量子ビットは4ビットの情報を保管でき、3量子ビットは8ビット、4量子ビットは12ビットの情報を保管できます。つまり、量子

ビット数が増えるにつれて、処理可能な情報量が指数関数的に増大するのです。

技術の歴史的発展

量子コンピュータの歴史は1980年代に遡ります。1980年にポール・ベニオフが量子系においてエネルギーを消費せず計算が行えることを示し、1982年にはファインマンも量子計算が古典計算に対し指数関数的に有効ではないかと推測しています。

理論的な発展から実用化への大きな転換点となったのは、1994年にピーター・ショアが実用的なアルゴリズム『ショアのアルゴリズム』を考案し、量子コンピュータの研究に火をつけたことでした。このアルゴリズムにより、従来のコンピュータでは現実的な時間では解けないとされる素因数分解問題が、量子コンピュータでは極めて短時間で解けることが示されました。

近年の企業間競争も激化しています。2016年、グーグルは9量子ビットの量子コンピューターで水素分子をシミュレートしました。2017年、インテルは17量子ビットの量子コンピューターを、IBMは90マイクロ秒にわたって量子状態を維持できる50量子ビットのチップを開発しました。そして2019年、Googleが量子超越性の実証を発表するなど、技術的ブレイクスルーが相次いでいます。

本講座での目的

本講座ではJQCAの「量子エンジニア認定講座(ゲート型エントリー)」の検定問題や解説に基づいて、ゲート型量子コンピュータの基本的な考え方について学ぶ、

なお、本講座では量子ビットを二次元空間上の矢印として扱うが、現実の量子ビットには量子力学特有の「位相」と呼ばれるパラメータがあるため厳密には1量子ビットはブロッホ球上の3次元で表現されることを留意いただきたい。

本講座が量子コンピューティングの考え方や基礎的な演算を学ぶ上で読者の力になれれば幸いです。

なお、本講座の対象者は「中学生以上」となっているが、量子ビットは一般的にベクトルによって表現され、量子ゲートは量子状態に対するユニタリ演算子であることが一般に知られているため、適宜、厳密な理解に基づいた説明を知りたい方は各章ごとにコラムを用意したため、解説本文で物足りなかった人は是非読んでみてください。

1.量子コンピュータと古典コンピュータ

1.1 古典ビットと量子ビット
 ビットとは情報の最小単位のことであり、古典コンピュータ上では例えば、「トランジスター上に電気が流れているか流れていないか」のように0と1どちらかの状態を作りその「列」として情報を作り出しています。

 - innovaTopia - (イノベトピア)
古典ビットの模式図

古典ビットの取りうる状態の数はビット数nに対して2^n個となります。例えば2古典ビット系を考えれば次のような4つの状態をとることができます。(下の図を参照)

 - innovaTopia - (イノベトピア)
2古典ビットの模式図、古典2ビットでは4つの状態をとりうる。

量子ビットとは何か?

1.1 重ね合わせの状態

 - innovaTopia - (イノベトピア)
量子ビットの模式図

量子ビットは翻って、あくまでイメージですがボールに矢印が刺さっている描像で書くことができる矢印が上を向いている状態を「0」下を向ている状態を「1」と表現すると、そのほかにも矢印が真横を向いている場合や斜めを向いている状態も量子ビットはとることができる。例えば下図右から3番目の矢印が真横を向いている場合は「0」が50 % 「1」が50%の状態(重ね合わせの状態)と解釈できる。このような状態を「重ね合わせの状態」と呼ぶ。

なお量子ビットの「0」と「1」は古典ビットと分けて考えるために|0>と|1>と表現する。これは「ゼロケット」と呼ぶ。この書き方は量子力学におけるディラックが提案した「ブラケット表記」に由来します。(「コラム1:線形結合」を参照されたし)

 - innovaTopia - (イノベトピア)
 - innovaTopia - (イノベトピア)
量子ビットは矢印の傾きによって無限の状態をとることができる!

ここで重要なのはこれらがすべて異なる状態であるということです。先ほどは「→が真横を向いている状態は|0>が50 %|1>が50%の状態であると表現しましたが、これはあくまで|0>と|1>とは全く異なる

「|0>が50 %で、|1>が50%の状態0」

という状態です。少しまどろっこしいですね。

この矢印が横向きの状態は一つ例を挙げると

1/√2( |0> + |1> )と書き表せます。言ってしまえば2x+3yという数式には確かにxとyが含まれていますが数式自体はxとyとも全く異なるものを表していますね。このようなイメージです。

1.2 量子もつれ
量子もつれ(quantum entanglement)は、2つ以上の量子ビットが強い相関を持ち、個別に記述できない状態になる現象です。

一方の量子ビットを測定すると、もう一方の状態が瞬時に決まります。もつれた量子ビットは強い相関を持つため、例えば2量子ビット系で考えると、1つの量子ビットのみを操作すると2量子ビット全体に影響があります。(2.3 量子もつれとベルの不等式)

 - innovaTopia - (イノベトピア)
量子もつれの模式図
 - innovaTopia - (イノベトピア)

1.3 量子ビットの観測

量子ビットを観測するときに実際に得られるのは|0>か|1>の必ずどちらかです。

 - innovaTopia - (イノベトピア)
量子ビットは重ね合わせの状態を直接得られず必ず「0」か「1」として手元に来る。

例えば、次のように|0>でも|1>でもない状態を観測すると、それぞれ量子ビットの状態に対応してある一定の確率で「0」または「1」が観測される。例えば先ほど用いた。矢印が真横を向いている量子状態では「0」が50% 「1」が50 %観測される。つまり、1000回観測したら500回「0」が500回は「1」が観測されて。矢印が真横を向いている状態そのものは観測できません。矢印が真上を向いている場合は1000回すべてが「0」が出力されて、真下の場合は1000回すべて「1」が出力されます。

 - innovaTopia - (イノベトピア)
 - innovaTopia - (イノベトピア)

2.量子ゲート

2.1量子ゲートと論理回路

古典コンピュータでは、AND回路やOR回路のような「論理回路」を使って計算を行います。たとえばAND回路は、入力が両方とも1のときにだけ1を出力します。

量子コンピュータでも、これに相当する「量子ゲート(quantum gate)」という操作を用いて計算を行います。量子ゲートとは、量子ビットの状態を変える操作のことです。

この量子ゲートをどのように組み合わせて使うかという設計図のようなものが、「量子アルゴリズム」と呼ばれます。

2.1Xゲート

|0⟩ を |1⟩ に、|1⟩ を |0⟩ に変えるゲート。古典のNOTと同じ動作。言ってしまえば、矢印を右周りに180度傾ける操作になる。

 - innovaTopia - (イノベトピア)

2.2Hゲート

さっきの話でいうところの量子ビットを右回りに90度傾ける操作をしてくれる量子ビット。|0>を90ど傾けると重ね合わせ状態を作ることができるため、このゲートを使って量子特有の性質である重ね合わせ状態を作ってうまく計算を行う。

 - innovaTopia - (イノベトピア)

2.3CXゲート

1つ目の量子ビット(制御ビット)が|1⟩のときだけ、2つ目のビット(ターゲット)にXゲートを適用。この時「ある量子ビットの結果によってもう片方の状態を変える」ということを行っていますね。前者を「制御ビット、後者を「ターゲットビット」と呼びます。

例として実際の量子回路を組んで計算をしてみましょう。

 - innovaTopia - (イノベトピア)
提供:DEVEL

XとM0と書かれている間に挟まれている2量子ビットにかかっているゲートがCXゲートです。ここでは上の量子ビットが制御ビット、下の量子ビットがターゲットビットです。今回は2つの量子ビットとも初期値は|0>ですが、上の量子ビットはXゲートがかかっているのでCXゲートを通る前に、値は|1>になっています。右側が計算結果で、1000回計算して(画面左上のshotsの値が何回計算したかを表している)、1000回とも両方の量子ビットはともに|1>でした。

 - innovaTopia - (イノベトピア)
提供:DEVEL

二つとも1だった場合は、ターゲットビットが反転するので、1→0になりました。

 - innovaTopia - (イノベトピア)
提供:DEVEL

次回は具体的にこれらの量子ゲートを用いて様々な計算を一緒に実装していきましょう。

コラム

コラム1:ボルンの確率解釈
量子子ビットの状態 (1/√2)(|0⟩ + |1⟩) を見て、「なんで係数が 1/√2 なの?」と疑問に思ったことはありませんか?直感的には、|0⟩と|1⟩が「半々」なら係数は 1/2 でもよさそうなものです。でも実際に測定すると、確かに50%ずつの確率で観測される。この不思議な関係を説明するのが、ボルンの確率解釈です。
ボルンが1926年に提唱したこの解釈によると、量子状態の係数(確率振幅)の絶対値の二乗が、その状態が観測される確率になります。
例えば (1/√2)(|0⟩ + |1⟩) の場合:

  • |0⟩が観測される確率:|1/√2|² = 1/2
  • |1⟩が観測される確率:|1/√2|² = 1/2

だから係数は 1/√2 なのです!
この「二乗則」は単なる数学的便宜ではありません。量子力学の干渉現象を正しく記述するために必要なのです。
確率振幅は複素数で、位相という情報も持っています。例えば (1/√2)(|0⟩ – |1⟩) という状態では、|1⟩の係数は -1/√2 ですが、観測確率は同じく50%です((-1/√2)² = 1/2)。

・コラム2:量子もつれとノーベル物理学賞
2つの量子ビットが量子もつれ状態にあるとき、片方を測定すると、もう片方の状態が瞬時に決まります。たとえ両者が宇宙の端と端にあってもです。この「不気味な遠隔作用」を嫌ったアインシュタインと、それを実験で証明した科学者たちの壮大な物語が、2022年のノーベル物理学賞の背景にあります。

まず、2量子ビット系の表記について説明しましょう。|00⟩という記号は、「1つ目の量子ビットが0、2つ目の量子ビットも0」という状態を表します。同様に|01⟩は「1つ目が0、2つ目が1」、|10⟩は「1つ目が1、2つ目が0」、|11⟩は「1つ目が1、2つ目が1」です。

典型的な量子もつれ状態:
(1/√2)(|00⟩ + |11⟩)

この状態では、測定すると50%の確率で両方とも0、50%の確率で両方とも1になります。しかし測定前は、どちらになるかは決まっていません。

EPRパラドクス
1935年、アインシュタインはポドルスキー、ローゼンと共に「物理的実在についての量子力学の記述は完全だと考えられるか?」という論文を発表しました。彼らの主張は明快でした:

「物理的性質は測定する前から決まっているはずだ。量子もつれなど、単に私たちが知らない『隠れた変数』があるだけではないか。」

つまり、量子が生成された瞬間に既に「この量子は白、あの量子は黒」と決まっており、観測によって「瞬時に影響が伝わる」わけではない、というのです。

ベルの不等式の発見
1964年、ベルは驚くべき発見をしました。もし隠れた変数が存在するなら、実験結果は「ベルの不等式」という数学的制約を満たすはずだと証明したのです。逆に、この不等式が破れれば、量子もつれは本物だということになります。

2022年のノーベル物理学賞のテーマは「もつれ」?

ジョン・クラウザー(1972年):初めてベルの不等式の破れを実験で確認。量子もつれの存在を世界で初めて実証しました。

アラン・アスペ(1982年):クラウザーの実験の「抜け穴」を塞ぎ、より厳密な条件で量子もつれを証明。光子の偏光フィルターを測定中にランダムに変更することで、測定手法の影響を排除しました。

アントン・ツァイリンガー(近年):最終的な「抜け穴」も塞ぎました。なんと遠い銀河からの信号を使って測定器を制御し、あらゆる古典的説明を不可能にしたのです。

・コラム3:ブラケット表記
量子ビットを|0⟩や|1⟩と書くのを見て、「なぜこんな変わった記号を使うの?」と思ったことはありませんか?この縦線と山括弧の組み合わせは、実は物理学史上最も美しく実用的な記号の一つなのです。このブラケット表記(Dirac記法)の誕生には、量子力学の黎明期を彩る天才たちの知的格闘が隠されています。

ハイゼンベルグの行列力学
1925年、24歳のハイゼンベルクは革命的なアイデアを発表しました。原子内の電子の軌道を「行列」で表現するという、当時としては極めて抽象的な理論でした。

ハイゼンベルクの着想:
物理量(位置、運動量など)を数の表ではなく、無限次元の行列として扱う

例:位置 x → 行列 X、運動量 p → 行列 P
そして XP – PX = iℏ (交換関係)

これは物理学者たちを困惑させました。なぜなら、従来の物理学では「位置×運動量」と「運動量×位置」は同じ値になるはずだったからです。しかしハイゼンベルクは、量子の世界では測定の順序が結果を変えることを数学的に表現したのです。

もっと言えば、今までの物理学は微積分で書かれており、線形代数は馴染みがあまりなかったという話も聞いたことがあります。

ディラックの天才的統合

1930年、ポール・ディラックは行列力学と波動力学を統一する美しい記法を考案しました。それがブラケット表記です。

ディラックの発明:

  • ⟨ψ|:「ブラ」(bra)
  • |φ⟩:「ケット」(ket)
  • ⟨ψ|φ⟩:「ブラケット」(bracket)

この記法の天才的な点は、抽象的な量子状態を具体的な数学操作と直結させたことです。|0⟩は「量子ビットが0の状態」という抽象概念を表しながら、同時に具体的な計算にも使える数学的対象なのです。

ディラックは内積(二つのベクトルの「重なり具合」)を ⟨ψ|φ⟩ と表現しました。これは英語の “bracket”(括弧)に似ているため、彼は左半分を “bra”、右半分を “ket” と名付けたのです。

“bra” + “ket” = “bracket”

おしゃれですね。

現代への影響

ディラックの記法は、今や量子コンピューターや量子情報科学の標準言語となっています。IBMの量子コンピューター「Qiskit」でも、Googleの「Cirq」でも、この記法が使われています。

ハイゼンベルクの抽象的な行列力学から始まり、ディラックの美しい記法によって完成された数学的枠組み。それは単なる記号以上の意味を持ち、量子の不思議な世界を人間が理解するための「言語」そのものなのです。|0⟩と|1⟩という素朴な記号の背後には、20世紀物理学の最も深遠な洞察が込められているのです。

【information】
日本量子コンピューティング協会(JQCA)は「量子エンジニア認定講座」を開催しています。是非皆さんもご参加ください。

https://jqca.org (JQCA公式HP)

検定試験の情報については下記URLを参考にお願いします。

https://connpass.com/user/jqca2023/open

量子コンピューターニュースをinnovaTopiaでもっと読む

Continue Reading

Trending