資生堂、AI-QSARで化粧品原料の生分解性を即時評価 従来1〜2か月の工程を短縮

資生堂、AI-QSARで化粧品原料の生分解性を即時評価 従来1〜2か月の工程を短縮

資生堂は2026年2月25日、AIを活用した2つの技術の開発に成功したと発表した。

1つ目は、独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)の協力のもと開発した「化粧品原料の生分解性評価法」である。経済産業省が化審法のために開発した「分解性AI-QSAR(定量的構造活性相関)」をベースに、化粧品成分向けに最適化したもので、従来約1〜2か月を要していたデータ取得を即時に行えるようにした。

2つ目は、化粧品原料の安全性に関する文献情報を高精度で判定する「安全性情報識別システム」である。反復投与毒性や皮膚感作性などの評価項目に関する重要情報の抽出を迅速化し、属人的なばらつきや見落としのリスクを低減する。

同研究成果は2024年の日本動物実験代替法学会第37回大会で発表され、大会長特別賞を受賞している。

From: 文献リンク資生堂、AIを活用した「化粧品原料の生分解性評価法」と「安全性情報識別システム」の開発に成功

【編集部解説】

今回の発表で注目すべきは、資生堂が化粧品業界の「外側」にある規制技術を業界の「内側」に持ち込んだという点です。AI-QSAR(定量的構造活性相関)はもともと、経済産業省が「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)」の運用のために、独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)と共に開発してきた評価手法です。工業化学物質の安全性スクリーニングを目的としたこの技術を、化粧品原料の生分解性評価に転用したところに、今回の技術的な新規性があります。

QSARとは、化学物質の構造的な特徴と生物学的な活性(分解性や毒性など)の相関関係を数理モデルで表現する手法です。NITEは2000年代初頭からOECDのQSAR Toolboxプロジェクトにも参画し、化審法で得られた分解性・蓄積性の試験データを国際的なデータベースに提供してきた実績があります。資生堂はこの蓄積された知見の上に、化粧品特有の成分に関する実測データを追加してモデルを最適化しました。

この技術が持つ意味は、単なる評価の「時短」にとどまりません。欧州では化粧品規制が急速に厳格化しています。EUの化粧品規制(Regulation (EC) No 1223/2009)は頻繁にアネックス(付属書)が更新され、2025年から2026年にかけて、CMR物質(発がん性・変異原性・生殖毒性物質)の新たな禁止、マイクロプラスチック規制の段階的強化、環状シロキサン(D4、D5、D6)の使用制限強化などが相次いでいます。こうした流れの中で、化粧品原料の環境中での分解性を迅速かつ定量的に評価できるツールの需要は、今後さらに高まると考えられます。

もう一つの成果である安全性情報識別システムも、規制環境の変化を背景に読む必要があります。EUは2013年に化粧品の動物実験を全面禁止しており、日本でも動物実験代替法の研究が急速に進んでいます。安全性評価において動物実験に頼れない以上、既存の文献データから重要情報を効率的に抽出する能力は、新原料の実用化を左右する競争力に直結します。実際、資生堂は情報不足により使用を控えていた原料の活用が可能になったと述べており、これは新しい処方開発の選択肢が広がることを意味します。

資生堂は、伊藤忠テクノソリューションズが開発した処方開発プラットフォーム「VOYAGER」に、Accentureとの協業による独自アルゴリズムのAI機能を統合し、2024年2月から本格稼働させています。50万件以上の処方データポイントを包含するこのプラットフォームを活用し、2026年1月には、処方開発AI機能を用いて開発した初の製品として、ミストタイプのサンケア製品を発表しました。今回の生分解性評価と安全性情報識別は、このAI戦略の「上流工程」、つまり原料選定と安全性保証のフェーズを担うものであり、原料評価から処方開発までをAIで一気通貫する体制が整いつつあるといえます。

一方で、留意すべき点もあります。AI-QSARはあくまで予測モデルであり、化粧品成分の多様性や複合的な環境条件をどこまで反映できるかは、今後の検証に委ねられます。NITEが過去に実施したバリデーションでは、従来型のQSARモデル(CATABOL、CERIモデル、BIOWIN5)の予測的中率は75〜80%程度でした。資生堂は段階的に最適化したと発表していますが、化粧品成分に対する具体的な予測精度は公表されていません。業界共通基盤として展開するのであれば、透明性のあるバリデーション結果の公開が求められるでしょう。

資生堂がこのAIモデルを自社にとどめず「業界共通の基盤として展開する」と明言した点は、技術のオープン化という観点から重要です。化粧品業界は中小メーカーやOEM企業が多く、高度な安全性評価のリソースを持たない企業にとって、こうした共通基盤の整備は参入障壁の低減につながる可能性があります。

【用語解説】

AI-QSAR(定量的構造活性相関)
化学物質の構造的特徴と生物学的な活性(分解性、毒性など)の間にある定量的な相関関係を、AIを含む数理モデルで表現・予測する手法。化学構造の情報だけで、実験を行わずに物質の性質を推定できる。

生分解性
素材や物質が自然界に存在する微生物によって分解され、最終的に水や二酸化炭素など自然界に存在する物質に変わる性質。環境負荷の評価指標として重要視されている。

化審法(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律)
日本における化学物質の安全性を審査・管理するための法律。新規化学物質の製造・輸入に先立ち、分解性や蓄積性、毒性などの評価を求める。

NITE(製品評価技術基盤機構)
経済産業省所管の独立行政法人。化学物質の安全性評価やQSARモデルの開発・運用などを担う。OECDのQSAR関連プロジェクトにも参画している。

CMR物質
発がん性(Carcinogenic)、変異原性(Mutagenic)、生殖毒性(Reprotoxic)を持つ物質の総称。EUの化粧品規制では原則として使用が禁止されている。

【参考リンク】

資生堂の安全性の保証|資生堂グループ企業情報サイト(外部)
資生堂が取り組む安全性評価の方針、研究体制、動物実験代替法の活用について紹介するページ。

動物実験代替法(QSAR、Read-across、IATA)|NITE(外部)
NITEによるQSARの開発・運用の全体像を解説。化審法における活用事例やOECDとの連携情報を掲載。

生分解性・生物濃縮性予測手法の開発|NITE(外部)
NITEが化審法の安全性評価に用いる生分解性・蓄積性予測手法の開発経緯と技術的詳細を解説。

資生堂、100年にわたる研究の蓄積と先進AI技術を融合|資生堂(外部)
処方開発AIプラットフォーム「VOYAGER」の開発経緯と機能詳細に関する2024年9月の公式発表。

処方開発AI「VOYAGER」を活用し第1号の化粧品開発に成功|資生堂(外部)
VOYAGERのAI機能で開発した初の製品、ミストタイプのサンケア製品に関する2026年1月の発表。

【参考記事】

Shiseido introduces AI tech for biodegradable and safe cosmetic ingredients(外部)
Personal Care Insightsによる英語圏向けの報道。AI-QSARと安全性識別システムの概要を紹介。

未点検既存化学物質の実測試験優先度の検討|NITE(外部)
NITEが実施したQSARモデルのバリデーション結果を公開。CATABOL等の予測的中率データを掲載。

EU Cosmetic Regulatory Updates for 2025 & 2026|Cosmeservice(外部)
2025〜2026年のEU化粧品規制の最新動向を網羅的にまとめた解説記事。CMR物質やシロキサン規制に言及。

日本動物実験代替法学会 第37回大会 公式サイト(外部)
2024年11月29日〜12月1日にライトキューブ宇都宮で開催された第37回大会の公式ページ。

【編集部後記】

化粧品を選ぶとき、成分表示や「環境にやさしい」という言葉を目にする機会が増えています。しかし、その裏側で原料一つひとつの環境影響や安全性がどのように評価されているかは、あまり知られていません。

今回の資生堂の発表は、その「見えない工程」にAIを導入したという話です。従来、ある原料が自然界で分解されるかどうかを調べるには1〜2か月の試験期間が必要でした。それがAIによって即時に予測できるようになったことは、環境に配慮した製品開発のスピードを根本から変える可能性を秘めています。

一方で、AIによる予測はあくまで予測です。実際の環境中では温度や微生物の種類など無数の変数が絡みます。「AIがOKと言ったから安全」ではなく、AIが専門家の判断を支援するツールとして機能しているという構造を理解しておくことが大切です。

この技術が業界全体に広がれば、私たちが手にする化粧品の環境負荷がより透明に、より定量的に評価される時代が近づきます。「何が入っているか」だけでなく「それが環境にどう還るか」まで見通せる未来は、消費者にとっても歓迎すべき変化ではないでしょうか。

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