株式会社日立製作所は2026年5月29日、トークン化預金を活用し、企業間取引の受発注から決済、会計までを自動化する実証実験に成功したと発表した。
日立は、トークン化預金DCJPYによる決済と流通BMSによる受発注をブロックチェーン上で連携させる共通基盤「インボイスチェーン」の主要機能を開発・提供した。実証実験はディーカレットDCPが事務局を務めるデジタル通貨フォーラムのインボイスチェーン分科会の参加企業を中心に、9社が共同で実施した。
実験ではツルハグループの受発注システムから花王グループカスタマーマーケティング向けの受領・返品データを取得して商取引トークン(NFT)を生成し、DCJPYで支払いを完了、消込ファイルを自動生成した。経理・財務部門で数人月分の負荷軽減が期待される。
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トークン化預金を活用して企業間取引を自動化する実証実験に成功(株式会社日立製作所)
【編集部解説】
今回の「経理業務の自動化」という一見地味な実証実験を取り上げるのか。理由は明快です。これは「人ではなく、ソフトウェアがお金を動かす経済」への、静かで、しかし本質的な布石だからです。
まず押さえておきたいのは、今回の主役である DCJPY が「ステーブルコイン」ではない、という点です。DCJPYは銀行預金そのものをブロックチェーン上で扱えるようにした「トークン化預金(Tokenized Deposits)」であり、発行体は銀行です。ゆうちょ銀行は2026年度中にDCJPYを用いたトークン化預金の取扱開始を検討しており、その場合は預金として預金保険の対象となりうる点が、暗号資産系のステーブルコインとの大きな違いになります。
この違いは、世界の潮流を見るといっそう際立ちます。Keyrockらが2026年5月に公表したレポート「Who Pays the Agent?」によれば、AIエージェントは2025年5月から2026年4月にかけて、およそ1億7600万件のブロックチェーン取引で7300万ドル超を決済しており、そのうち98.6%がUSDCで決済されているとされます。現時点で観測される範囲では、海外のAIエージェント決済はUSDCをはじめとする民間発行のステーブルコインに大きく偏っています。一方、本件のDCJPY構想は、銀行発行のトークン化預金という「銀行マネー」を土台に据える点で、こうしたステーブルコイン中心の動きとは対照的です。なお同レポートは、単一の発行体に決済が集中することのリスクにも注意を促しています。
なぜ銀行マネーなのか。ここで今回の実証が解こうとしている現場の痛みが効いてきます。企業間取引では、請求と入金を突き合わせる「消込(けしこみ)」が、いまだに人手の温床です。社内システムが用途ごとに分断(サイロ化)しているため、「どの請求に対する入金か」を人が照合し続けている、というのが多くの経理・財務部門の実態でした。
「インボイスチェーン」が狙うのは、この分断をブロックチェーンで一本につなぐことです。受発注(流通BMS)と決済(DCJPY)を同じ台帳の上で連携させ、商取引トークン(NFT)が「何を・いくらで・誰に支払うか」を改ざんできない形で持ち運ぶ。プレスリリースが掲げる「うそのつけないDX」という表現は、まさにこの「データが嘘をつけない」状態を指しています。
押さえておきたいのは、今回が単発の打ち上げ花火ではないことです。ディーカレットDCPが事務局を務めるデジタル通貨フォーラムには100社以上(専門メディアの報道では2025年9月時点で125社)が参加しており、2026年3月にはSBI新生銀行のDCJPYを使った国内初のセキュリティトークン決済(DVP決済)の実発行検証も完了しています。証券、流通、そして今回の企業間決済へと、適用領域が着実に面で広がっている段階だと捉えるのが正確でしょう。
では、この技術で何ができるようになるのか。日立が見据えるのは、「AIエージェントが人に代わって調達や決済を行う社会」です。ここが本記事の核心です。AIに「金曜までに届く範囲で部材を発注しておいて」と任せるとき、エージェントには信頼できる支払い手段と、改ざんされない取引記録が要ります。トークン化預金とトークン化された取引データは、その土台になりうるのです。
ポジティブな側面は明確です。経理・財務の人手作業を圧縮し、人間をより創造的な判断業務へ解き放つ。プレスリリースが見込む「数人月分」の負荷軽減は、中堅・大企業の現場感覚に照らせば決して小さくありません。
一方で、潜在的なリスクも直視すべきです。「自動で支払いが実行される」とは、裏を返せば「誤った指示も自動で実行されうる」ということです。米国では、AIエージェントが消費者の指示に反した支払いを行った場合に誰が責任を負うのか、既存の規制(Regulation E)では明確でないという論点が指摘されています。「うそをつけない」基盤であっても、最初の指示そのものが誤っていれば、その誤りもまた忠実に履行されてしまう。ここはガバナンス設計の核心です。
規制への影響という観点では、トークン化預金という路線はむしろ追い風になり得ます。発行体が銀行であり、既存の預金・金融規制との接続を説明しやすいため、ステーブルコインとは異なる制度的な地続き感を持って社会実装を進められる可能性があります。世界がステーブルコインの規制論で揺れるなか、この「地続き感」は一つの強みになりうるでしょう。
長期の視点で見れば、今回の実証は「機械が経済主体になる時代」のインフラ整備の一コマです。AIエージェントによる決済は、Visaが年間14兆5000億ドルを処理する既存金融に比べれば、まだ取るに足らない規模に思えるかもしれません。しかし、決済が「クリックする人間」から「目的を与えられたソフトウェア」へと主語を変えていく流れは、もう始まっています。
【用語解説】
DCJPY
ディーカレットDCPが提供するプラットフォーム上で、銀行を発行主体として発行される円建てのトークン化預金(プログラマブルマネー)である。資金の保管や移転は従来の銀行預金と同じ扱いとなり、一定の条件で自動的に支払いを実行できる点が特徴だ。
インボイスチェーン
ブロックチェーン技術を用いて、受発注から決済・会計までの企業間取引をシームレスにつなぐプラットフォーム構想である。デジタル通貨フォーラムの分科会で検討され、本実証では日立が主要機能を開発・提供した。
消込(けしこみ)
入金された金額が「どの請求に対する支払いか」を照合し、債権の記録を消し込む経理作業を指す。手作業に頼ると膨大な時間を要するため、自動化の効果が大きい業務領域とされる。
NFT(非代替性トークン/商取引トークン)
ブロックチェーン上で、そのデジタルデータが唯一無二の本物であることを証明する仕組みである。本実証では、取引内容や支払情報を記録した「商取引トークン」としてNFTが生成された。
USDC
米Circle社が発行する、米ドルに連動するステーブルコインである。AIエージェント間の決済で最も多く使われている。
Regulation E
米国で電子資金移動における消費者保護を定める規則である。AIエージェントが利用者の指示に反した支払いをした場合の責任の所在が、この枠組みでは不明確だと指摘されている。
【参考リンク】
日立製作所 ブロックチェーン紹介サイト(外部)
日立のブロックチェーン関連の取り組みや活用事例を紹介する公式ページ。本実証の背景にある技術思想やユースケースを確認できる。
ディーカレットDCP(外部)
トークン化預金DCJPYとDCJPYネットワークを開発・提供する事業者の公式サイト。デジタル通貨フォーラムの事務局も務める。
デジタル通貨フォーラム「デジタル通貨DCJPYとは」(外部)
DCJPYの仕組みやビジネスゾーン・フィナンシャルゾーンの二層構造を解説する公式ページ。銀行発行の位置づけを把握できる。
Circle「USDC」(外部)
米ドル連動型ステーブルコインUSDCの発行元による公式ページ。米ドルとの1対1の償還性など仕組みを確認できる。
ツルハホールディングス(外部)
本実証で受発注システムを提供した大手ドラッグストアグループの企業サイト。グループ概要やIR情報などを掲載している。
花王グループカスタマーマーケティング(KCMK)(外部)
本実証で受領・返品データの取引先となった花王グループの販売会社の公式ページ。事業内容や会社概要を確認できる。
【参考記事】
Stablecoins Become AI Agents’ Payment Rail(coininsider)(外部)
Keyrockの報告書「Who Pays the Agent?」を基に、約1億7600万件で7300万ドル超を決済し98.6%がUSDCだったと伝える。
Why Agentic Payments Are The Future of AI and Crypto(MoonPay)(外部)
AIエージェントに価格安定のステーブルコインが必要な理由を解説。2025年の取引額33兆ドルなど市場拡大の予測を示す。
Is 2026 the Year of Agentic Payments?(Fenwick)(外部)
AIエージェントが指示に反し支払った場合の責任を米Regulation Eが明確化できていないと指摘する法律事務所の論考。
What Is Agentic Commerce? The 2026 Guide(Eco)(外部)
エージェント型コマースの全体像を解説。ChatGPT Instant CheckoutやVisaなど2026年時点の実装例を紹介する。
ステーブルコインに関する法規制の概要とポイント解説(EY)(外部)
日本でステーブルコインが「電子決済手段」として規制されうる点など、法的位置づけを整理した解説記事。
ゆうちょ銀行・ディーカレットDCP プレスリリース(2025年9月1日)(外部)
ゆうちょ銀行が2026年度中にDCJPYでトークン化預金の取扱開始を検討すると発表した一次資料。預金保険対象の点にも触れる。
国内初のトークン化預金によるセキュリティトークン決済の実発行検証の完了のお知らせ(ディーカレットDCP)(外部)
SBI新生銀行が取り扱うDCJPYで、国内初のST(DVP)決済検証を2026年3月に完了したと報じる一次資料。
ゆうちょ銀行が2026年度中に「トークン化預金」提供へ、DCJPY採用で(電子決済マガジン)(外部)
ゆうちょ銀行の提供方針と、デジタル通貨フォーラム参加が125社(2025年9月時点)に達したことを伝える記事。
【関連記事】
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【編集部後記】
今回のニュース、一見すると「経理の自動化」という地味な話に見えたかもしれません。でも、その先には「AIに発注やお支払いを任せる」という大きな変化が控えています。みなさんなら、AIエージェントにどこまでお金のことを任せられそうでしょうか。「ここまでなら安心」「ここからは自分で決めたい」——その境界線は、人それぞれだと思います。この記事が、その線引きを一緒に考えてみるきっかけになれば嬉しいです。

