株式会社ispaceは2026年3月30日、同月27日に実施した事業戦略アップデートに関する一部報道を受け、ミッションスケジュールを正式に補足した。
一部報道では月面着陸ミッションが2030年に延期されると報じられたが、次の月面着陸ミッションは2028年である。旧ミッション3として2027年の打ち上げを目指していた米国ミッションは、代替エンジンへの変更およびランダー統合を理由に、新ミッション5として打ち上げ時期を2030年に再設定した。
一方、旧ミッション4は変更なく新ミッション3として2028年の打ち上げを予定している。また、新ミッション2.5として、最速2027年に米Argo Space Corp.の宇宙輸送サービスを利用し、自社衛星1基を月周回軌道へ投入することも計画している。なお、2030年の米国ミッションはNASAのCLPSタスクオーダーCP-12に採択されているものであり、新スケジュールの実行にはNASAの正式な承認が必要な状態だ。
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当社の次回の月面着陸ミッション打ち上げに関する一部報道について | ispace
【編集部解説】
今回ispaceが公式に発表したのは、新しいニュースではなく「訂正」です。3月27日の事業戦略アップデートを受けた一部報道が「ispaceの月面着陸は2030年まで行われない」と伝えたため、投資家や関係者から問い合わせが相次ぎ、急きょ補足声明を出す事態となりました。誤解の根本は、ミッション番号の大幅な再編にあります。従来の「ミッション3」「ミッション4」「ミッション6」という番号体系が、それぞれ新たに「ミッション5」「ミッション3」「ミッション4」へと整理されたことで、「ミッション3が2030年に延期」という事実のみが切り取られて独り歩きしたのです。
では、何がどう変わったのかを整理します。2030年に延期となったのは、米国法人が主導し、NASAのCLPS(商業月面輸送サービス)タスクオーダーCP-12として採択されていた旧ミッション3——現在の新ミッション5——です。この遅延の直接的な原因は、搭載エンジンにあります。米Agile Space Industriesが開発を担っていたエンジン「VoidRunner(ボイドランナー)」が、要求される燃料効率の実証に遅れが生じ、結果として代替エンジンへの切り替えと、ランダー(着陸機)モデルそのものの統合が必要になりました。このエンジン問題は今に始まったことではなく、もともと予定していたAgile製A2200エンジン(推力約2,200ニュートン)の調達が計画スケジュール内に間に合わないことが判明した2025年5月の時点から、遅延の種は存在していました。
この米国ミッションの遅延を受け、ispaceは日米のランダー開発を「ULTRA(ウルトラ)」として一本化するという、ある意味で大胆な戦略転換を選びました。ULTRAは日本のシリーズ3ランダーを基盤としつつ、米国のAPEX 1.0の特長を統合したモデルです。この統合は、複数のプラットフォームを並行開発するリソースの分散を解消し、品質と信頼性を高める狙いがあります。
一方、本来の「次の月面着陸ミッション」である新ミッション3(旧ミッション4)は2028年を予定しており、これは変更されていません。日本拠点が主導し、経済産業省のSBIR補助金を活用して開発が進む本ミッションこそ、ispaceにとって直近の着陸挑戦です。2028年に向けた開発の意義は、単なる着陸成功の証明にとどまりません。ミッション1(2023年)、ミッション2(2025年)と続けて着陸に失敗しているispaceにとって、3度目の挑戦となるこのミッションは、事業の存続を左右する正念場といえます。
もう一点、今回の戦略アップデートで見落とされがちな重要な動きが新ミッション2.5です。最速2027年、米Argo Space Corp.の宇宙輸送サービスを使い、自社衛星1基を月周回軌道に投入します。これはispaceが「輸送サービス企業」から「月の通信・測位インフラ事業者」へと進化しようとする「ルナ・コネクトサービス」構想の第一歩であり、2030年までに少なくとも5基の自社衛星を投入する計画の起点となります。同社の試算では、このサービスが対象とする市場は2040年代に年間4,500億円規模へ成長するとされています。
ポジティブな側面として強調しておきたいのは、月面着陸に成功した民間企業は米Intuitive MachinesとFirefly Aerospaceの2社のみであり、ispaceはその後に続く有力企業として注目されているという点です。地政学的にも技術的にも、アメリカ勢に次ぐ存在としてのポジションは長期的な競争優位につながる可能性があります。
一方で潜在的なリスクも直視しなければなりません。新ミッション5(2030年)はNASAのCP-12に採択されていますが、新スケジュールでの実行にはNASAの正式承認がまだ得られておらず、不確実性が残ります。また、2025年6月のミッション2失敗以降、ispaceは赤字経営が続いており、追加の資金調達が必要になる可能性も指摘されています。Reutersによると、ispaceの野崎順平CFOは、NASAが2028〜2029年に月ミッションを加速させる流れと、自社スケジュールとの間にずれがあるとの認識を示しました。
今回の騒動が明らかにしたのは、宇宙ビジネスにおける「情報の複雑性」という課題でもあります。ミッション番号の再編という技術的・戦略的な整理が、メディアを通じてシンプルな「延期」として伝わることで、企業の信頼や株価に直接影響を及ぼす——このリスクは、投資家や読者が宇宙スタートアップの情報を読み解く際に、常に意識しておくべき点です。ispaceの歩みは決して平坦ではありませんが、月という人類の次なるフロンティアを舞台に、段階的かつ持続的に事業を構築しようとする姿勢は、長期的な視点で見れば依然として注目に値します。
「2030年まで月に行けない」——そんな見出しを見て、少し残念な気持ちになった方はいませんか。私たちも最初そう感じました。でも、数字の裏を追いかけると、景色はずいぶん変わってきます。宇宙ビジネスの情報は、ミッション番号ひとつで印象が大きく変わる。そのことを、今回の騒動は静かに教えてくれているような気がしています。みなさんは、ispaceの挑戦をどんなふうに見つめていますか?
【参考情報】
用語解説
CLPS(Commercial Lunar Payload Services/商業月面輸送サービス)
NASAが民間企業に月面へのペイロード(積み荷)輸送を委託するプログラム。政府主導から民間主導への宇宙開発移行を推進する象徴的な仕組みで、複数の民間企業がタスクオーダーを受注して競争的に開発を進める。
CP-12(CLPSタスクオーダー)
NASAがCLPS制度の下でTeam Draperに2022年に発注した特定ミッション。月の裏側にあるシュレーディンガー盆地への着陸を目標とし、地震計・熱流量計・電磁場センサーなどの科学機器を届けることが主な目的である。
SBIR補助金(中小企業イノベーション創出推進事業)
経済産業省が実施する補助金制度。ispaceが受け取るSBIR補助金は、日本拠点が主導する新ミッション3(旧ミッション4)のランダー「ULTRA」開発費を支援するものである。
VoidRunner(ボイドランナー)
ispace米国法人とAgile Space Industriesが共同開発したロケットエンジン。従来エンジン比で部品点数を4分の1に削減した簡素な設計が特徴だったが、要求される燃料効率の実証に遅延が生じ、最終的に代替エンジンへの切り替えが決定した。
ULTRA(ウルトラ)
ispaceが2026年3月27日に発表した新型統合ランダー(月着陸機)。日本のシリーズ3ランダーを基盤に、米国のAPEX 1.0の技術(推進剤タンク、通信システム等)を統合したモデルで、名称はラテン語で「その先へ」を意味する。
ルナ・コネクトサービス
ispaceが新たに発表した月周回衛星を活用した通信・測位サービス。2030年までに少なくとも5基の自社衛星を月周回軌道へ投入し、月面活動を支えるインフラとして提供することを目指す。
アルテミス計画
NASAが主導する有人月面探査計画。半世紀ぶりの人類月面帰還を目指し、日本を含む各国の宇宙機関や民間企業が参加する。ispaceは新ミッション5(旧ミッション3)を通じてこの計画に貢献する方針だが、スケジュールのずれが課題として指摘されている。
Team Draper
米チャールズ・スターク・ドレイパー研究所(Draper)を中心としたチーム。NASAのCP-12をTeam Draperとして主導し、ispaceの米国法人がランダー(着陸機)開発担当として参加している。
【参考リンク】
株式会社ispace(外部)
月面資源開発を手がける日本の宇宙スタートアップ。日米欧3拠点で約350名が在籍し、月面着陸・輸送サービスを主軸に事業展開中。
NASA(アメリカ航空宇宙局)(外部)
CLPSプログラムとアルテミス計画を主導する米国の宇宙機関。ispaceが参画するCP-12ミッションの発注元であり、新スケジュールの承認権限を持つ。
Agile Space Industries(外部)
コロラド州ダーランゴに拠点を置く宇宙推進技術企業。ispaceとVoidRunnerを共同開発したが、性能遅延で代替エンジンへ切り替えが決定した。
Intuitive Machines(外部)
CLPSプログラムを通じてNASAの月面輸送を担う米国の民間企業。民間での月面着陸成功2社のうちの1社であり、ispaceの競合だ。
Firefly Aerospace(外部)
Blue Ghostミッションで月面着陸を実現した米国企業。CP-12遅延によりBlue Ghost 2が月の裏側への最初のCLPS着陸候補となっている。
Draper(チャールズ・スターク・ドレイパー研究所)(外部)
NASAのCP-12をTeam Draperとして主導する米国の非営利研究機関。ispaceの米国法人とともに月の裏側への着陸ミッションを推進する。
【参考記事】
ispace Announces New “ULTRA” Lunar Lander Integrating Japanese and U.S. Lander Models(外部)
ispaceによる3月27日付公式発表。ミッション番号再編、ULTRA仕様、ルナ・コネクトサービスの概要を一次情報として掲載。
Japan’s ispace delays NASA-sponsored moon landing to 2030(外部)
2030年延期という表現が独り歩きするきっかけとなったロイター配信記事。見出しと本文の間に情報の強調度の差があった典型例。
ispaceが月着陸計画を延期。月面データビジネス構想も発表(外部)
3月27日の事業戦略アップデート全体を日本語でまとめた宇宙専門メディアの記事。ミッション変更やルナ・コネクト構想も整理。
ispace Delays Lunar Mission to 2027, Pivots to New ‘VoidRunner’ Engine(外部)
2025年5月のエンジン変更を報じた記事。プロジェクト収益予測が約100億円から約60億円へ40%下方修正された数字を掲載。
【編集部後記】
今回の記事執筆を通じて、ひとつの数字が複数の意味を持ちうることを改めて実感しました。「2030年」という数字は正確です。しかし、その数字がどのミッションに紐づいているかを見誤ると、5つのミッションが連なる全体像は見えてこなくなります。宇宙ビジネスは構造が複雑で、報道との相性が難しい分野でもあります。私たちinnovaTopiaは今後も、数字の背後にある文脈を丁寧に掘り起こしながら、ispaceをはじめとする宇宙産業の動きをお伝えしてまいります。

