Googleが、音楽生成AIモデル「Lyria」をめぐる独立系アーティストの著作権侵害訴訟で、訴えの棄却を裁判所に申し立てました。
Googleの主張の柱は、いわゆる「フェアユース(公正利用)」ではなく、「YouTubeに動画をアップロードした時点で、アーティストはYouTubeおよびGoogleに対し、コンテンツを利用できる広範なライセンスを付与している」というものです。該当する利用規約の条項は、クリエイターがYouTubeとその関連会社に「世界規模・非独占的・ロイヤリティ無償・サブライセンス可能・譲渡可能なライセンス」を付与し、複製、配布、二次的著作物の作成を含む利用を認めるものとされ、関連会社にはAlphabet Inc傘下の各部門が含まれるとされています。Googleは、この同意により学習への許諾や対価の支払いは不要だったとし、Lyriaを開発したのはGoogle DeepMindです。Googleは、原告の主張は作品がYouTube上で入手可能だったという点を唯一の根拠とする裏付けのない仮説だと反論しています。なお現時点で確定しているのは「Googleがこうした主張をしている」という事実であり、規約によってAI学習が合法だと裁判所が認めたわけではありません。学習にアーティストの楽曲が実際に使われたかどうかも、原告の主張とGoogleの否認が対立したままです。
【編集部解説】
今回の一件は、これまでのAI著作権訴訟とは「守り方」がまったく違う、という点で注目に値します。
これまでSunoやUdioといった生成AI企業が訴えられたとき、各社が持ち出してきたのは米国著作権法の「フェアユース(公正利用)」という抗弁でした。学習は「変容的(トランスフォーマティブ)」な利用であり、権利者の許諾はそもそも不要だ、という論法です。ところがGoogleは今回、その王道のカードを前面に切っていません。代わりに主張したのは「YouTubeの利用規約で、すでに正式なライセンスを得ている」という、まったく別種の理屈でした。
なぜこの差が生まれるのか。答えはシンプルで、Googleが世界最大級の音楽配信基盤であるYouTubeそのものを保有しているからです。アーティストが動画を投稿した瞬間に同意した規約には、YouTubeとその「関連会社(Affiliates)」に対し、コンテンツを複製・配布し、二次的著作物を作成できる「世界規模・非独占的・ロイヤリティ無償・サブライセンス可能・譲渡可能なライセンス」を与える、という条項が含まれています。そして、その「関連会社」にはAlphabet Inc傘下の各部門が含まれる――つまりLyriaを開発したGoogle DeepMindも対象だ、というのがGoogle側の読み筋です。
ここで押さえておきたいのが、元記事が触れていない数字です。今回の訴訟は2026年3月6日、米国イリノイ州北部地区連邦地裁に提起されました。原告は、ニューヨークのシンガーソングライターであるサム・コゴン、ロサンゼルスの作曲家であるマグナス・ファインズ、ソングライターのマイケル・メルらと、シカゴのバンドDirectrixのメンバーです。118ページにおよぶ訴状で原告側は、Googleが「少なくとも4400万クリップ、28万時間分の音楽」を含む膨大な録音をYouTubeから無断で取り込んだと主張しています。なお、原告が根拠として引用したGoogle自身の研究論文には、約5000万本の動画から抽出し約4400万クリップ・約37万時間を保持したとの記述もあり、訴状はこうした公表数値も手がかりにしています。これに対しGoogleは6月8日、訴えの「却下(with prejudice=再提訴不可の形での棄却)」を裁判所に求めました。代理人は大手法律事務所のQuinn Emanuel Urquhart & Sullivanです。
Googleの提出書面には、もうひとつ示唆的な数字があります。YouTubeが2025年6月までの1年間に音楽業界へ支払った金額は80億ドル(約1兆2800億円。2026年6月11日時点、1ドル=約160円換算)を超える、というものです。これは「我々はすでに音楽業界に巨額を還元している正当なパートナーだ」という自社の立ち位置を強調する布石と読めます。
問題の核心は、元記事が鋭く突いている「二つの入り口」のねじれにあります。多くの独立系アーティストは、個別ライセンス契約を持つディストリビューター経由で楽曲をYouTube Musicや権利管理システムContent IDに登録しています。しかし同時に、自分のチャンネルへミュージックビデオを直接アップロードしてもいます。レーベルやディストリビューターが結ぶ個別契約では、AI学習への利用まで認めていない可能性が高い。ところが「直接アップロード」の経路には、あの汎用規約が効いてくる――Googleはこの後者の隙間を突いている、という構図です。
この戦略が法的に通るかどうかは、まだ何とも言えません。Lyria 3は2026年2月18日にGeminiアプリ内で公開され、テキストや画像から最長30秒の楽曲を生成できるモデルです。Googleは「原告は自分の特定の楽曲が使われたと立証できていない」とも反論しており、ここにはAI学習データの不透明性という別の論点が絡みます。皮肉なことに、原告が「使われたかもしれない」と推測するしかないのは、Google DeepMindが学習データの中身をほぼ開示していないからです。秘匿性が、侵害立証を阻む盾としても機能してしまっている――この入れ子構造こそ、生成AI時代の著作権問題の本質的な難しさを象徴しています。
文脈として見落とせないのが、業界全体の地殻変動です。SunoとUdioに対しては、2024年にRIAA主導で3大レーベルが「大規模侵害」を訴えました。しかしその後、ユニバーサル ミュージック グループ(UMG)は2025年10月にUdioと和解し、ライセンス済みAI音楽プラットフォームの共同構築で合意。ワーナー ミュージック グループ(WMG)もUdio・Sunoと相次いで和解しました。一方、ソニー ミュージックは少なくとも2026年6月時点では和解に至らず、訴訟を継続しているとされます。つまり業界は「訴訟を取引に変えて壁の中の協業へ進む陣営」と「裁判での決着を見据える陣営」に割れているのです。今回のGoogleの主張は、この大きな流れのなかでは「個別交渉も和解も経ずに、規約一枚で学習の正当性を確保しようとする第三の道」と位置づけられます。
私たちが今このニュースを取り上げる理由は、ここにあります。これは「音楽家対Google」という業界内のいざこざにとどまりません。何かをプラットフォームへアップロードするとき、私たちは利用規約という長文に同意のクリックをしています。その一文が、数年後に自分の創作物をAIの学習素材として差し出す根拠として持ち出され得る――今回まさにGoogleがその主張をしているように、この構図は、文章を投稿するブロガーにも、写真を共有するクリエイターにも、コードを公開するエンジニアにも等しく当てはまります。Lyriaが「無数の人々に録音スタジオへのアクセスを開く(民主化する)」とGoogleが語る未来像と、創作者が知らぬ間に競合の燃料にされかねないという懸念は、同じコインの裏表なのです。
長期的には、この訴訟の帰結が「規約による包括同意は、AI学習への許諾としてどこまで有効か」という問いの試金石になります。仮にGoogleの主張が認められれば、プラットフォームを保有する巨大テック企業は、個別交渉という最も高コストな工程を省略できることになる。逆に退けられれば、規約文言の射程に明確な線引きが求められ、各社は同意の取り方そのものを設計し直す必要に迫られるでしょう。いずれにせよ、私たちユーザーが「同意」という行為に込めている意味が、AI時代にふさわしくアップデートされるかどうか――その分岐点を、この一件は静かに照らしています。
【用語解説】
Lyria(リリア)/Lyria 3
Google DeepMindが開発した音楽生成AIモデルである。テキストや画像から、ボーカルや歌詞を含む楽曲を生成する。今回の訴訟の対象となったLyria 3は2026年2月18日、GeminiアプリにベータとしてリリースされたGoogle DeepMind最先端の音楽モデルである。生成物にはAI生成を識別するための電子透かしSynthIDが埋め込まれる。
Google DeepMind(グーグル・ディープマインド)
GoogleのAI研究開発部門である。Geminiをはじめとする生成AIモデル群を手がけており、Lyriaの開発主体でもある。学習データの中身については情報開示が乏しく、今回の訴訟ではその不透明さ自体が論点になっている。
Content ID(コンテンツID)
YouTubeが提供する著作権管理システムである。権利者がアップロードされた動画・音源を自動照合し、自身の作品の無断利用を検出・管理できる仕組みを指す。多くの独立系アーティストはディストリビューター経由でこのシステムに楽曲を登録している。
フェアユース(公正利用)
米国著作権法における、権利者の許諾なく著作物を利用できる例外規定である。利用が「変容的(トランスフォーマティブ)」かどうかなどが判断要素となる。多くのAI企業が学習の正当化に用いてきたが、今回Googleはこの抗弁を主軸に据えていない点が特徴である。
二次的著作物(derivative works)
既存の著作物をもとに、翻案・編曲・変形などを加えて新たに創作された著作物を指す。今回問題となったYouTube規約の条項では、アップロードされたコンテンツについて、この二次的著作物の作成までを含む利用が許諾対象に含まれるとされている。
Affiliates(関連会社)
契約上、特定企業と資本・支配関係でつながる会社群を指す語である。今回のGoogleの主張では、YouTube規約上の「Affiliates」にAlphabet Inc傘下の各部門が含まれ、ゆえにGoogle DeepMindもライセンスの受け手にあたるとされている。
class action(集団訴訟/クラスアクション)
共通の被害を受けた多数の当事者を代表して、一部の原告が全体を代理して起こす訴訟形式である。本件は提案型集団訴訟(proposed class action)として提起されている。
motion to dismiss(却下の申し立て)
訴えに法的根拠がないなどとして、本格的な審理に入る前に裁判所へ訴訟の棄却を求める手続きである。Googleは「with prejudice(再提訴不可の形での棄却)」を求めている。
Suno/Udio(スノ/ユーディオ)
ともに代表的な音楽生成AIサービスである。2024年にRIAA主導で3大レーベルから著作権侵害で提訴された。その後、UMG・WMGはUdio・Sunoと相次いで和解し、ライセンス済みプラットフォームの構築へ転じた。今回の原告の多くは、過去にこの両社も提訴している。
【参考リンク】
Lyria – Google DeepMind(外部)
Lyriaシリーズの公式モデルページ。Lyria 3やRealTimeの機能、対応言語、楽曲生成の特徴を開発元自身が解説している。
Lyria 3で楽曲を作成(Gemini app)– blog.google(外部)
Lyria 3公開時のGoogle公式発表。テキストや画像からの30秒トラック生成、SynthID付与など製品仕様を確認できる。
YouTube 利用規約(外部)
Googleが「ライセンス付与の根拠」とする利用規約の本体。アップロードコンテンツに関する許諾条項の原文を確認できる。
Content ID の仕組み – YouTube ヘルプ(外部)
YouTube公式による著作権管理システムContent IDの解説。権利者がどのように作品の利用を検出・管理するかがわかる。
Quinn Emanuel Urquhart & Sullivan(外部)
Googleの代理人を務める米国の訴訟専門法律事務所の公式サイト。世界各地に拠点を持つ大手として知られる。
Music Business Worldwide(MBW)(外部)
訴状内容や数値の一次情報寄り報道を担った音楽業界専門メディア。訴訟書面へのリンクを含め本件を詳報している。
【参考記事】
Google moves to dismiss indie artists’ Lyria 3 AI training lawsuit(Music Business Worldwide)(外部)
本件で最も詳細な一次情報寄り報道。却下申し立ての要旨を訴訟書面PDFへのリンク付きで解説し、数値・固有名詞の主要な裏付け元となった。
Independent musicians sue Google over Lyria AI training(Crypto Briefing)(外部)
訴状が主張する約4400万クリップ・約28万時間という規模感と、2026年3月6日提訴という日付を明示。数値の確認に用いた。
Indie artists sue Google over Lyria 3 training(Music Business Worldwide)(外部)
提訴当初の報道。原告が引用したGoogle論文の数値に触れ、訴状の主張と論文値の切り分けに用いた重要記事。
YouTube Terms of Service Allow AI Music Training, Google Says(Billboard)(外部)
Lyria 3のローンチや学習データ非開示、UMG・CEOの発言を報道。Googleの戦略の異質さを業界文脈で位置づけた。
Google Asserts YouTube’s Terms Allow It to Train AI Models(Variety)(外部)
41ページの提出書面という分量や原告の具体的な氏名・グループ名を詳報。原告側の固有名詞と肩書きの確認に用いた。
Music Industry AI Lawsuits Tracker 2026(Chartlex)(外部)
UMG・WMGの和解時期やソニーの未和解など業界全体の構図を一覧化。「二陣営に割れている」文脈の裏付けに用いた。
Warner Music settles copyright case with Suno for licensed AI music(Reuters)(外部)
WMGがSunoと和解し2026年に新ライセンスモデル投入を計画と報道。和解の流れを一次寄りで確認するために用いた。
Japanese Yen – Quote, Chart, Historical Data(Trading Economics)(外部)
2026年6月10日にUSD/JPYが160円台で推移したと示す為替データ。80億ドルの円換算(約1兆2800億円)の根拠に用いた。
【編集部後記】
利用規約に「同意」を押す瞬間、私たちはその一文一文を本当に読み切れているでしょうか。今回の訴訟が突きつけているのは、独立系アーティストだけの問題ではありません。プラットフォームへ作品や言葉を差し出すすべての人にとって、「同意」という小さな行為が、自分の創作物の未来をどこまで左右するのか――その問いはこれからますます重くなっていくはずです。innovaTopiaは、AIと創作のあいだに生まれるこうした緊張を、これからも一方に偏らず見つめ続けていきます。読者のみなさんと一緒に、納得できる線引きのかたちを探っていけたらと思います。
