大阪大学が体温発電で脳波の無線伝送に成功 — 大阪・関西万博で実証、電池不要の連続センシングへ

大阪大学が体温発電で脳波の無線伝送に成功 — 大阪・関西万博で実証、電池不要の連続センシングへ

大阪大学大学院工学研究科の兼本大輔准教授の研究グループが、人体と外気のわずかな温度差から得られるエネルギーだけで動作するワイヤレス脳波(EEG)伝送システムを開発し、2025年に開催された大阪・関西万博(Expo 2025)の会場で実証に成功しました。

気温32℃を超える屋外環境にもかかわらず、外部電源や扇風機などの送風を一切使用せず、連続的な脳波データの無線伝送が可能であることを示した研究成果です。

本システムは、研究グループが先行研究で確立してきた「圧縮センシング」理論を活用し、脳波信号をランダムにアンダーサンプリングして送信側のデータ量を削減、受信側のアルゴリズムで元の波形を高精度に再構築する仕組みを採用しています。本研究はJSPS科研費(JP24K02914)およびNEDOの委託業務(JPNP14004)による支援を受けたもので、論文はIEEE 44th International Conference on Consumer Electronics(ICCE 2026)で2026年2月5日に発表されました。

From: 文献リンクNo batteries, just body heat: demonstrating the potential of battery-free sensing

【編集部解説】

大阪大学大学院工学研究科の兼本大輔准教授の研究グループが、大阪・関西万博(Expo 2025)の会場で実施した実証実験は、ウェアラブルデバイス開発の歴史にとって象徴的な意味を持つ成果です。なぜなら、長らく業界全体の課題であった「電池問題」に対し、屋外の現実環境という極めて厳しい条件下で実用解の一端を示したからです。

このシステムの核心は、単に体温で発電したという点ではなく、「圧縮センシング」と呼ばれる信号処理技術と熱電発電を組み合わせた点にあります。同グループは2023年の段階で、脳波計測回路の消費電力をチャネル当たり97μWまで抑え、従来比7割の省エネ化に成功していました。今回はその省エネ回路を実機に組み込み、ついに屋外での連続動作にこぎつけたという、長期研究の到達点と位置づけられます。

圧縮センシングをかみ砕いて説明すると、「全部測らずに、要点だけを抜き出して送り、受信側で元の波形を高精度に復元する」という発想です。これにより、電力を最も食う部分(A/D変換と無線送信)の負担を大幅に減らせます。送信側を極限まで軽くし、計算リソースに余裕のある受信側に重い処理を任せる、という役割分担の妙が効いています。

注目すべきは、実証が気温32℃台という「熱電発電にとっての悪条件」で行われたことです。熱電発電は体温(約36℃)と外気温の差が大きいほど発電量が増えるため、夏の屋外は本来不利な環境です。それでもなお動作したという事実は、室内のラボから現実社会への橋渡しが見えてきたことを意味しています。

実用面での影響は、医療現場のEEG計測にとどまりません。プレスリリースによれば、心電・筋電などの生体信号、さらにはインフラや機械の振動センシングへの応用が視野に入っています。橋梁やトンネルに設置するセンサー、災害の予兆を捉えるセンサーなど、「電池交換のために人が現地に行けない場所」こそ、この技術が真価を発揮する領域となります。

一方で、冷静に見ておくべき論点もあります。今回の実証は「手のひらを熱電発電素子に当てる」という能動的な接触を前提としており、常時装着型のシームレスな運用にはまだ距離があります。また、脳波という極めてセンシティブな個人情報を無線でやり取りする以上、暗号化やプライバシー保護の仕組みを別レイヤーで設計する必要が出てくるでしょう。

規制面でも留意点が生じます。医療機器として承認を受けるためには薬機法の枠組みでの検証が必要であり、また長時間の身体接触を伴う電子デバイスは安全基準(発熱、電磁波)の評価も避けて通れません。バッテリーフリーであるがゆえに「常時動作し続ける」性質は、データ収集の頻度や保存ポリシーの議論を改めて呼び起こす論点でもあります。

長期的な視点で見ると、この研究は「環境から得られるエネルギーで自律動作するセンサー網」へと社会が移行する流れの一翼を担うものです。脳波という人体の最も微細な信号を、人体そのもののエネルギーで送り出すという循環構造は、Tech for Human Evolutionが志向する「人と技術の調和」を体現する一例といえるでしょう。本研究はJSPS科研費(JP24K02914)およびNEDOの委託事業(JPNP14004)による支援を受けており、日本の公的研究投資が結実した成果でもあります。

そして何より、この実証の舞台が大阪・関西万博であったという事実は記憶にとどめる価値があります。万博という「未来を提示する場」で、地元・大阪大学の研究者が「電池のいらない未来のセンシング」を披露したという情景は、innovaTopiaが伝えたい技術史の一コマとして、確かに刻まれるべき瞬間です。

【用語解説】

脳波(EEG / Electroencephalogram)
脳の神経細胞の活動によって生じる微弱な電気信号を、頭皮上に装着した電極から計測したもの。てんかんや睡眠障害の診断など、医療分野で広く用いられる。振幅は数〜数百マイクロボルトと極めて小さく、ノイズに埋もれやすいため高精度な計測技術が求められる。

圧縮センシング(Compressed Sensing)
信号が持つ「スパース性(疎性)」を利用し、本来必要とされる量よりはるかに少ないサンプル数から元の信号を高精度に復元する数学理論である。送信側の計算量とデータ量を大幅に削減できるため、省エネ化に直結する。

アンダーサンプリング(Undersampling)
信号を本来必要とされる頻度より少ない回数で取得する手法。通常は信号の劣化を招くが、圧縮センシング理論と組み合わせることで、受信側で元の信号を高精度に復元できる。

熱電発電(素子)
温度差を電気エネルギーに直接変換する素子。代表的な仕組みは「ゼーベック効果」と呼ばれ、二種類の異なる材料の接合部に温度差を与えると電圧が発生する原理を用いる。本研究では4cm角の小型素子が使用された。

エナジーハーベスティング(環境発電)
光、熱、振動、無線電波など、身の回りの環境に存在する微弱なエネルギーを電力として収穫する技術の総称である。電池交換やコンセント給電を不要にすることで、メンテナンスフリーのデバイス実現を目指す。

ICCE(IEEE International Conference on Consumer Electronics)
IEEEのConsumer Technology Societyが主催する民生用電子機器分野の年次国際会議。本研究は第44回大会(ICCE 2026)で発表された。

A/D変換
アナログ信号(連続的な電圧変化)をデジタル信号(離散的な数値)に変換する処理。センサー回路の中でも特に消費電力の大きい部分とされ、省エネ化のボトルネックとなりやすい。

ウェアラブルデバイス
身体に装着して使う電子機器の総称。スマートウォッチ、スマートグラス、医療用パッチセンサーなどが含まれる。常時装着を前提とするため、電池寿命と装着の快適性が大きな課題となっている。

【参考リンク】

大阪大学(The University of Osaka)(外部)
1931年設立の日本有数の総合大学。指定国立大学法人として基礎研究から応用技術までを横断的に展開している。

ResOU 大阪大学 研究情報発信サイト(本研究プレスリリース)(外部)
本研究の日本語プレスリリース。研究成果のポイントや図解、用語解説を含む一次情報のページである。

兼本大輔 准教授 個人サイト(外部)
筆頭著者である兼本大輔氏の公式サイト。研究テーマ、論文、所属メンバーの情報が掲載されている。

IEEE Consumer Technology Society(CTSoc)(外部)
ICCEを主催するIEEEの専門部会。民生用電子機器分野の研究コミュニティを統括している。

ICCE 2026 公式サイト(外部)
本研究が発表された国際会議の公式サイト。開催概要、プログラム、論文採録情報が掲載されている。

NEDO 国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(外部)
本研究を支援した日本の公的研究機関。エネルギーおよび産業技術分野のイノベーションを担う。

JSPS 独立行政法人日本学術振興会(外部)
本研究を科学研究費(JP24K02914)で支援した日本の学術振興機関である。

2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)公式サイト(外部)
本実証実験の舞台となった国際博覧会の公式サイトである。

【参考記事】

\大阪・関西万博で実証成功!/ 体温と外気温の温度差だけで、脳波の無線伝送を実現(ResOU)(外部)
大阪大学による日本語の公式プレスリリース。共著者・科研費・NEDO委託事業番号などが明記された一次情報である。

電池レスで、脳波信号の計測と無線伝送を可能に:センシング回路の消費電力を7割削減(EE Times Japan)(外部)
2023年5月公開の関連記事。チャネル当たり97μW、従来比7割省エネ化という前段階の成果を伝えている。

体温による微弱なエネルギーで脳波をセンシング(ResOU)(外部)
2023年の同研究グループによる先行研究のプレスリリース。4cm角の熱電発電素子による世界初の実証経緯を記載。

Battery-Free EEG Runs on Body Heat in Summer Air(The Engineer)(外部)
英国の工学専門メディアによる報道。EEGの定義、長時間モニタリングの必要性、消費電力課題を整理している。

No battery needed: Body heat runs brain monitor in outdoor test(Interesting Engineering)(外部)
熱電発電が周囲温度上昇とともに発電量低下する性質と、それでも稼働した今回の意義を技術的に評価している。

No batteries, just body heat: Demonstrating the potential of battery-free sensing(Tech Xplore)(外部)
科学技術ニュース専門メディアによる報道。ICCE 2026での発表経緯と研究の社会的意義を伝えている。

【編集部後記】

スマートウォッチの充電を忘れてヒヤッとした経験は、多くの方にあるのではないでしょうか。今回ご紹介した研究は、その「充電する」という当たり前を、いつか手放せるかもしれない可能性を示しています。自分の体温が、自分の健康データを送る電力になる――そんな循環がもし日常になったとき、私たちとデバイスの関係はどう変わっていくのでしょう。みなさんなら、まずどんな場面で「電池のいらないセンサー」を使ってみたいですか。innovaTopia編集部も、ぜひ一緒に未来を想像してみたいと思っています。

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