株式会社獺祭と三菱重工業株式会社は2026年4月28日、月面での清酒製造を目指す「獺祭MOONプロジェクト」第一弾ミッションの完了を発表した。
共同開発した醸造装置と原材料を2025年10月26日にH3ロケット7号機とHTV-X1号機でISSへ輸送し、11月25日に油井亀美也宇宙飛行士の担当でISS「きぼう」日本実験棟のJAXA実験装置内にて月面重力を模擬し、2週間の醸造試験を行った。サンプルは2026年2月27日に米国ロサンゼルスで回収、3月24日に「獺祭MOON-宇宙醸造-」が完成した。
アルコール度数は12%。清酒116mlのうち100mlをチタン製ボトルに詰め、1億1千万円(税込)で販売し、売上金は日本の宇宙開発に寄付する。酒粕は東北大学東谷研究室が成分解析を行う。
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獺祭と三菱重工、人類初・宇宙空間での清酒醸造試験に成功。「獺祭MOONプロジェクト」第一弾ミッション完了
【編集部解説】
このニュースの本質は「宇宙で酒を造った」という話題性にとどまりません。注目したいのは、日本酒に固有の「並行複発酵」という難度の高い醸造プロセスを、地球外で初めて成立させたという技術的意義の方です。
並行複発酵とは、麹菌がデンプンを糖に分解する反応と、その糖を酵母がアルコールに変える反応を、同じタンク内で同時並行的に進める方式を指します。ワインの単発酵やビールの単行複発酵と比較しても制御の難度が高く、温度や微生物環境がわずかに乱れるだけで失敗する繊細な技術です。それを月面重力(地球の約1/6)を模擬した環境下で機能させた点に、本ミッションの概念実証(PoC)としての価値があります。
舞台となった装置にも目を向ける価値があります。今回の試験はISS「きぼう」日本実験棟の「細胞培養装置追加実験エリア(CBEF-L)」で実施されました。これは三菱重工が開発し、JAXAが2020年から「きぼう」で運用している大型遠心機付きインキュベータで、回転で生じる遠心力により月や火星に相当する重力環境を再現できます。つまり本プロジェクトは、有人宇宙技術の長年の蓄積と、日本酒という伝統技術が交差した地点に立ち上がっているわけです。
「オールジャパン体制」という言葉も軽くは流せません。新型補給機HTV-X1号機は「こうのとり」(HTV)の後継機としての初飛行であり、それを打ち上げたH3ロケット7号機もH3-24W形態の初投入でした。輸送系の中核そのものが、日本独自の宇宙輸送能力を国際的に示すミッションを兼ねていたわけです。HTV-X1の把持を担当した油井亀美也宇宙飛行士が、その後の醸造試験も手掛けた流れには象徴性があります。
100ml・1億1千万円(税込)という価格設定は、商業としての販売価格ではなく「宇宙開発への寄付を媒介する仕組み」と捉えるのが正確でしょう。売上金は日本の宇宙開発に寄付される設計であり、プロダクトを通じて民間資金を宇宙産業へ循環させるモデルとして機能しています。
科学的成果として見逃せないのは、軌道上では発酵動態が地上より緩慢になったという観察結果です。重力が微生物代謝にどう作用するのかは、将来の宇宙食料生産や生命維持システムの設計に直結する問題であり、今回のサンプルを東北大学東谷研究室が精密解析することで、新たな知見が積み上がっていく見込みです。
獺祭は2050年の月面醸造を目標に掲げていますが、その実現には月の水資源利用、原料輸送コスト、宇宙放射線下での酵母の遺伝的安定性など、解くべき課題が並びます。一方で「米は水を多く含むブドウより月への輸送に向く」という発想は、月面における持続的な食料生産という長期テーマと地続きです。嗜好品である酒という具体的ゴールが、QOL(生活の質)という抽象議論を地上の生活者に手触りのあるかたちで示す役割を担っている点も、本プロジェクトの巧みなところと言えます。
最後に、規制・標準化の観点でも先例的な意味を持ちます。今後、宇宙空間で食品や発酵製品を扱う民間プロジェクトが増えれば、閉鎖系での製造活動に関する国際的な安全基準が問われていくはずです。獺祭の挑戦は、嗜好品や食品が宇宙産業の本格的フロンティアになりつつあることを告げる先行ケースなのです。
【用語解説】
並行複発酵(へいこうふくはっこう)
日本酒に固有の発酵方式。麹菌が米のデンプンを糖に分解する「糖化」と、酵母が糖をアルコールに変える「アルコール発酵」が、同じタンク内で同時並行に進む。ワインの単発酵やビールの単行複発酵と比べ制御が難しいとされる。
CBEF-L(細胞培養装置追加実験エリア)
ISS「きぼう」内に設置された大型の遠心加速型人工重力発生機付きインキュベータ。三菱重工が開発し、JAXAが2020年から「きぼう」で運用している。月(1/6G)や火星(1/3G)の重力環境を模擬できる。
HTV-X
JAXAの新型宇宙ステーション補給機。「こうのとり」(HTV)の後継機にあたり、1号機(HTV-X1)が今回の輸送を担った初飛行となった。
H3ロケット
JAXAと三菱重工業が共同開発した日本の新型基幹ロケット。今回の7号機は、HTV-Xに対応した「H3-24W」形態の初打上げである。
【参考リンク】
獺祭MOONプロジェクト 特設サイト(外部)
獺祭の月面醸造構想の背景、フェーズ構成、関係企業、責任者の植月聡也氏のインタビューなどを掲載した獺祭の公式特設ページ。
株式会社獺祭 公式サイト(外部)
山口県岩国市の酒蔵、株式会社獺祭の公式サイト。「獺祭MOONプロジェクト」に関連する最新発表もニュース欄に随時掲載される。
三菱重工業 ニュースリリース「獺祭と三菱重工、人類初・宇宙空間での清酒醸造試験に成功」(外部)
2026年4月28日付の三菱重工業側のプレスリリース。本ミッションの工学的成果と宇宙用醸造装置の開発の詳細を記載している。
JAXA「きぼう」利用案内:細胞培養装置追加実験エリア(CBEF-L)(外部)
本試験で用いられた人工重力発生装置CBEF-Lの公式仕様ページ。月や火星の重力環境を模擬し、最大4種の重力比較実験も可能。
JAXA「ファン!ファン!JAXA!」HTV-X1×H3F7特設サイト(外部)
HTV-X1号機とH3ロケット7号機の特設ページ。打上げから把持までの経緯と各種CG資料、関連記者会見が公開されている。
【参考記事】
Mitsubishi Heavy Industries: Completed the first mission of the “DASSAI MOON Project”(外部)
三菱重工側の英語版プレスリリース。アルコール度数12%、もろみ260g、清酒116mlなどの定量的な成果が整理されている。
Marine Link: Dassai Moon Project: Sake Space Shot a Success(外部)
海事・産業系メディアの報道。攪拌機構や温度・アルコール濃度のセンサー監視といった宇宙用醸造装置の仕様も簡潔にまとめている。
Chronogram Magazine: Dassai Sets Its Sights on the Moon With Historic Space-Brewed Sake Experiment(外部)
2050年の月面醸造目標と1億1千万円ボトルの背景、責任者の植月聡也氏の発言を盛り込んだ米国カルチャー誌による英語記事。
日本経済新聞:宇宙で醸した「獺祭」、1本限定1.1億円が完売 三菱重工と獺祭(外部)
1億1千万円で販売された「獺祭MOON-宇宙醸造-」が完売したと報じる経済紙の記事。日本国内の経済メディアの文脈を補完する。
三菱重工技報 Vol.58 No.4(2021)航空宇宙特集(外部)
CBEFおよびCBEF-Lの開発経緯を解説する三菱重工の技術論文。CBEF-Lの2020年の軌道上初ミッション完了を裏付ける原典資料。
sorae:新型補給機「HTV-X」がISSに到着 JAXA油井宇宙飛行士がロボットアームでキャプチャ(外部)
2025年10月26日の打上げから10月30日のISS結合完了までを追った宇宙系メディアの報道。油井宇宙飛行士の把持時刻まで記録する。
Daily Galaxy: Japan Will Make “Sake” on the Moon to Humanize Life in Space(外部)
海外英語メディアによる打上げ翌日の報道。月面重力下での発酵成立の検証という世界初の試みとしての本ミッションの位置付けを伝える。
【編集部後記】
今回のリサーチで特に印象に残ったのは、月面醸造という遠大な目標を「日本酒」という身近な題材で語る発想力でした。技術や産業の話は抽象に流れがちですが、「月で一杯のお酒を楽しむ暮らし」という像が浮かぶと、宇宙開発が一気に自分ごととして近づいてくるようなきがします。innovaTopiaでは、こうした未来の手触りを伝えてくれるプロジェクトを、これからも丁寧に追いかけていきます。皆さんは、月で過ごす日々に、地球からどのような技術を連れていきたいでしょうか。
