JAXAは2026年6月9日、小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星「トリフネ」(仮符号2001 CC21)をフライバイする時刻を発表した。予定日は2026年7月5日、予定時刻は日本時間18時30分頃である。トリフネの中心から約1kmの距離を、相対速度の秒速約5kmで通過し観測する。トリフネは地球接近小惑星で、直径500メートル程度の細長い形状と推定され、観測の結果S型小惑星と判明した。
「はやぶさ2」は2014年12月にH-IIAロケット26号機で打ち上げられ、2018年にリュウグウへ到着、2020年12月に地球へサンプルを帰還させた後、拡張ミッションへ移行している。最終目的地は小惑星「1998 KY26」で、2031年7月に到着予定である。一連の取り組みはプラネタリーディフェンスに貢献する。
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小惑星探査機「はやぶさ2」による小惑星「トリフネ」フライバイの時刻決定
【編集部解説】
今回のJAXAの発表は、一見すると「フライバイの時刻が18時30分頃に決まった」という地味な続報に見えます。しかし、この時刻決定が重要な意味を持つ背景にこそ、このミッションの本質が表れています。
フライバイ探査は、相対速度・秒速約5kmという猛烈なスピードで小惑星のわずか1km脇をすり抜ける、一瞬の勝負です。最接近そのものはまばたきの間に終わるため、最接近前後の観測機会は極めて短くなります。だからこそ、トリフネのどの面を狙うか、どの地上局で通信するかといった条件を詰め、最後の最後まで「最適な時刻」を計算し続けてきたわけです。日付は2025年末に2026年7月5日と公表済みで、今回はその仕上げにあたります。
ここで読者の皆さんに注目していただきたいのが、JAXAが繰り返し用いる「プラネタリーディフェンス(地球防衛)」という言葉です。探査機を天体の至近に正確に通過させる技術は、裏を返せば「探査機を小天体に正確にぶつける技術」と同じものです。実際、NASAは2022年にDART探査機を小惑星ディディモスの衛星ディモルフォスに衝突させ、その軌道を変えることに成功しました。トリフネのフライバイは、この衝突回避技術の前提となる超精密ナビゲーションを、日本が独自に磨く実証の場なのです。
トリフネ自体の科学的な顔つきも興味深い変遷をたどっています。当初はリュウグウ(炭素を多く含むC型)とは異なる「L型」と見られていましたが、その後の観測で、初代はやぶさが訪れたイトカワと同じ「S型」と判明しました。狙いどおりではなかったものの、地球接近小惑星の多様性を知るうえで貴重なデータであることに変わりはありません。
そして見逃せないのが、最終目的地である1998 KY26の「縮小」です。JAXAのプレスリリースは直径を「30mまたはそれに満たない」と記していますが、2025年に欧州南天天文台(ESO)などの国際チームが発表した最新観測では、直径は従来予想のおよそ3分の1にあたる約11メートル、自転周期も約5分とされました(Nature Communications掲載)。これは2013年にロシア・チェリャビンスクで多数の負傷者を出した隕石の母天体よりも小さいサイズです。
このサイズ感こそ、ミッションが「人類の生活圏に直結する」理由を物語っています。直径数十m級の天体は、ありふれた脅威です。地球への衝突頻度の推定には幅があり、JAXAは数十年に1度程度、宇宙科学研究所(ISAS)は100〜1000年に1度程度と説明しています。それが一枚岩なのか、瓦礫が寄り集まった「ラブルパイル」なのかが分かれば、いざ軌道をそらす際にどう力を加えるべきかの判断材料になります。地球防衛は、まず相手を正確に知ることから始まるのです。
一方で、潜在的なハードルも正直にお伝えしておきます。約11mという極小天体に、高速自転する相手へ「ランデブー(近傍での相対運用)」するのは前例のない難度です。リュウグウで使えたターゲットマーカー投下のような手法は遠心力の強い小天体では通用しにくく、タッチダウンが可能かどうかは依然として未知数とされています。打ち上げから約16年半が経過する2031年まで、機体や観測機器が劣化と戦い続けねばならない点も含め、楽観だけでは語れません。
それでも、本来の任務を終えた探査機を「使い倒し」、人類共通の課題である地球防衛へと役立てるこの拡張ミッションは、宇宙開発の費用対効果という観点でも示唆に富みます。7月5日の夕方、日本の小さな探査機が遠く宇宙で挑む数分間は、未来の私たちの安全に静かにつながっているのです。
【用語解説】
フライバイ(接近通過)
探査機が天体に着陸も周回もせず、そばを高速で通り過ぎながら観測する手法。今回は相対速度・秒速約5kmで、トリフネの中心から約1kmの距離を通過する。観測できる時間が極めて短い一発勝負となる。
ランデブー
探査機が天体に対して相対速度を小さく保ち、近傍に滞在し続けながら詳細観測を行う運用。一瞬で通り過ぎるフライバイと異なり、留まって多角的に調べられる。「はやぶさ2」は2031年に1998 KY26で世界初の小型天体ランデブーを目指す。
スイングバイ
天体の重力を利用して探査機の速度や進行方向を変える航法。燃料を節約しつつ軌道を調整できる。「はやぶさ2」は1998 KY26へ向かう途中、2027年と2028年に地球スイングバイを予定している。
地球接近小惑星/地球近傍天体(NEO)
地球の公転軌道に近づく軌道を持つ小惑星や彗星の総称。NEOの正式名称はNear Earth Object(地球近傍天体)である。なお元記事では「Near Earth Orbit」と表記されているが、一般にはNear Earth Objectが用いられる。トリフネも1998 KY26もこのNEOに分類される。
C型/S型/L型小惑星
小惑星を反射光のスペクトル(成分の特徴)で分類した型。C型は炭素を多く含む岩石質(例:リュウグウ)、S型は炭素が少ない岩石質(例:イトカワ)、L型はS型に似るが微妙にスペクトルが異なるもの。トリフネは当初L型と見られたが、後にS型と判明した。
プラネタリーディフェンス(地球防衛)
地球に衝突する恐れのある小惑星などを早期に発見・監視し、必要なら軌道変更などの対策を講じて被害を防ぐ取り組み。国連を中心に国際協力で進められている。
ラブルパイル
一枚岩ではなく、小さな岩塊や砂礫が自らの重力でゆるく寄り集まってできた小惑星の構造。衝突回避策を立てる際、相手が一枚岩かラブルパイルかで対処法が変わる。
仮符号
小惑星が発見され軌道が推定された段階で、識別のために付けられる記号。トリフネの仮符号は2001 CC21、確定番号は98943である。
DART
NASAが2022年に実施した小惑星軌道変更の実証ミッション。探査機を小惑星に意図的に衝突させ、その軌道を変えることに成功した。プラネタリーディフェンスの代表例。
チェリャビンスク隕石
2013年にロシア・チェリャビンスク州上空で爆発し、多数の負傷者を出した隕石。元となった小惑星は、最新推定での1998 KY26(直径約11m)より大きかったとされる。
【参考リンク】
小惑星探査機「はやぶさ2」(JAXA)(外部)
JAXA公式のはやぶさ2プロジェクト紹介ページ。ミッション概要や成果がまとまっている。
はやぶさ2拡張ミッション プロジェクトサイト(JAXA宇宙科学研究所)(外部)
拡張ミッション「はやぶさ2♯」の公式サイト。トリフネや1998 KY26の最新運用情報を掲載。
プラネタリーディフェンス(JAXA宇宙科学研究所)(外部)
JAXAが取り組む地球防衛分野の解説ページ。はやぶさ2の貢献の位置づけが分かる。
小惑星探査機「はやぶさ2」(JAXA宇宙科学研究所)(外部)
宇宙科学研究所による機体・ミッションの技術的解説ページ。
NASA DART(NASA公式)(外部)
NASAによる小惑星軌道変更実証ミッションDARTの公式解説ページ。
【参考記事】
Hayabusa2 extended mission target asteroid 1998 KY26 is smaller and rotating faster than previously known(Nature Communications)(外部)
査読付き論文。1998 KY26を自転周期約5.35分・直径11±2mと算出し、ランデブー運用の再検討の必要性を論じた一次情報。
「はやぶさ2」目的地の小惑星は予想の3分の1サイズ ランデブーは新たなチャレンジに(秋山文野)(外部)
上記論文を日本語で解説。直径約11m・自転周期約5分の新推定とプラネタリーディフェンス上の意義を整理。
はやぶさ2の小惑星「トリフネ」フライバイは’26年7月5日実施 ISAS発表(マイナビニュース)(外部)
自転周期約5時間のトリフネで観測面と地上局選択が時刻決定を左右する点を掘り下げた記事。
【編集部後記】
7月5日の夕方、はるか遠くの宇宙で「はやぶさ2」が最接近前後の短時間の勝負に挑みます。地球を守るための技術が、本来は別の目的でつくられた一機の探査機を「使い倒す」かたちで磨かれていく——この発想に、私たちは少しわくわくしています。
みなさんは、小惑星が私たちの暮らしと地続きの話だと感じていましたか。当日、空を見上げながらこの一瞬を想像してみると、宇宙との距離がぐっと近づくかもしれません。一緒にその瞬間を見守れたら嬉しいです。