ケンブリッジ大学のAI設計「スーパー抗原ワクチン」、初のヒト試験で安全性を確認

ケンブリッジ大学のAI設計「スーパー抗原ワクチン」、初のヒト試験で安全性を確認

「流行が起きてから追いかける」のではなく、「起きる前に備える」――ケンブリッジ大学とスピンアウト企業 DIOSynVax(DVX)Ltd が開発したサルベコ・コロナウイルス向けユニバーサルワクチンの初のヒト臨床試験の結果が、2026年6月5日に公表された。

健康なボランティア39名が参加した第I相試験で、安全性が確認され、重大な副作用は確認されなかった。ただし感染予防などの有効性は今後の試験で検証される段階である。

このワクチンはAIが設計したスーパー抗原を用い、SARS-CoV-2やSARSに加え、関連するコウモリ由来ウイルスにも免疫応答を引き起こした。18歳から50歳が対象で、NIHRのサウサンプトンおよびケンブリッジ(アデンブルックス病院)の施設で実施され、針を使わないマイクロ流体ジェットによりDNAワクチンとして投与された。今後は、より大規模な第II相試験が予定されている。

研究は主に Innovate UK が資金提供し、結果は Journal of Infection に掲載された。

From: 文献リンクNew ‘universal vaccine’ technology could protect us from future virus outbreaks

【編集部解説】

このニュースを「いま」取り上げる理由は、報じられた成果が「新しいコロナワクチンができた」という話に留まらないからです。ここで本当に検証されたのは、ワクチンを”つくる順番”そのものを反転させる設計思想でした。

これまでのワクチンは、ヒトの間で確認されたウイルス株を後から追いかける「後追い型」でした。今回ケンブリッジ大学と DIOSynVax が示したのは、世界中の監視プログラムが蓄積した遺伝子配列データを機械学習で解析し、まだ出現していないものまで含めたウイルスグループ共通の特徴を抽出して、AIが「スーパー抗原」を設計するという逆転の発想です。活性成分をコンピューターシミュレーションだけで設計したワクチンがヒトに投与されたのは、これが初めてだと研究チームは説明しています。

押さえておきたいのは、今回が第I相試験だという点です。主要評価項目は安全性と反応原性であり、「効くかどうか(有効性)」の証明ではありません。参加者は18歳から50歳の健康な39名で、0.2mg・0.4mg・0.8mg・1.2mgの4つの用量群に分けて投与されました。つまり、本来の目的は重い副作用が出ないかを確かめることであり、その目的は達成された、というのが正確な理解です。

ここに、報道の見出しと中身のあいだの距離があります。「ユニバーサル」「将来のパンデミックを防ぐ」という強い言葉が並びますが、現時点で人で証明されたのは「安全であること」までです。広く効く可能性を示す免疫応答のデータも得られていますが、論文や複数の報道によれば、参加者は全員、すでに新型コロナワクチンを2〜3回接種済みで、試験期間中もSARS-CoV-2変異株の流行にさらされていたため、もともと高い免疫を持っていたとされます。新たに何がどれだけ上乗せされたのかを読み解くのは、容易ではなかったわけです。

技術的に注目すべきは、投与方法が「針なし」だったことです。高速の微細な液体ジェットでDNAワクチンを皮膚内に届ける方式が用いられました。針への恐怖を持つ人への配慮であると同時に、医療資源の限られた地域での大規模接種を速く、容易にしうるという含意があります。技術の価値を「速く効く」だけでなく「誰に届くか」で測る視点は、innovaTopia が大切にしたいところです。

この成果が投げかける、もっとも刺激的な問いは規制の領域にあります。まだ世界に存在しないウイルスへの防御を、どうやって臨床的に「証明」し、承認するのか。従来の「発症をどれだけ防いだか」という物差しは、相手がいない段階では使えません。先回り型ワクチンが普及するには、動物モデルや「免疫の代替指標」を用いた新しい承認の枠組みが要る、ということです。AIによる生物学的設計が臨床現場に踏み込む時代に、規制の側がどう追いつくか。ここは今後数年の見どころになります。

長期的に見れば、今回の意義は一つの製品ではなく、「設計のパラダイム」が人の身体という最も厳しい試験場で生き延びた点にあります。タンパク質の構造予測や設計でAIが成果を上げてきた流れが、ついに予防医療の入り口へと到達した、と位置づけられます。エボラ、インフルエンザ、出血熱ウイルスにも同じ手法を広げられるなら、感染症対策は「流行が起きてから走り出す」競技から、「起きる前に陣形を整える」競技へと変わるかもしれません。

一方で、慎重に見るべき点も挙げておきます。一般論として、DNAワクチンは、ヒトでの免疫の立ち上がりに課題があると従来から議論されてきた方式でもあります。第II相以降で、より多様な集団に対して本当に強く広い防御を生み出せるかが正念場です。また「ユニバーサル(万能)」という言葉は期待を膨らませますが、現実は「サルベコ・コロナウイルスのグループに広く」であって、あらゆるウイルスに効くわけではありません。言葉を正確に使い分けることは、メディアの責任だと考えます。

最後に、資金と背景についても触れておきます。今回の試験は主に英国政府系の Innovate UK が資金提供しました。なお DIOSynVax は2022年3月、感染症流行対策イノベーション連合(CEPI)から最大4200万ドル(約3200万ポンド)の出資を受け、ベータコロナウイルス全般を狙うmRNAワクチン開発を進めてきた経緯もあります。確認できる事実は、複数の公的・国際的な資金が「次のパンデミックに先回りする」研究に流れ込んでいる、という構図です。誰が未来の安全保障に投資しているのか――その地図を冷静に読むことこそ、私たちに求められる視座ではないでしょうか。

【用語解説】

サルベコ・コロナウイルス(Sarbecovirus)
コロナウイルスの大きな分類のうち、SARS-CoV-2(新型コロナ)やSARSウイルスを含むグループ。コウモリを宿主とする近縁ウイルスが多く、ヒトへの伝播による新たなパンデミックの源として警戒されている。

スーパー抗原(super-antigen)
本記事における「スーパー抗原」は、AIがウイルスグループ全体に共通する特徴を抽出して設計した合成の抗原を指す。多数の変異株や未出現のウイルスにまで効くことを狙った、人工的な「免疫の標的」である。(※細菌毒素などを指す免疫学の古典的な「スーパー抗原」とは別物で、本記事ではAIが設計した広域の標的抗原という意味で使われている)

抗原(antigen)
ワクチンの活性成分であり、免疫系を刺激して防御的な反応を引き起こす物質。これにより身体が将来の感染に備えて訓練される。

DNAワクチン
ウイルスのタンパク質の設計図にあたるDNAを体内に届け、細胞自身に抗原をつくらせるタイプのワクチン。今回の試験ではこの方式が用いられた。

第I相試験・第II相試験(フェーズ1/フェーズ2)
新しい医薬品やワクチンの臨床試験の段階。第I相は少人数で主に安全性を確かめる初期段階、第II相はより多くの多様な参加者で効果や免疫応答を評価する段階である。

反応原性(reactogenicity)
接種後に生じる発熱・痛み・腫れなど、想定される範囲の反応のこと。安全性評価の指標として測定される。

NIHR(国立健康・ケア研究所)
英国の医療・健康研究を支える公的機関。今回の試験はサウサンプトンとケンブリッジにあるNIHRの臨床研究施設で実施された。

CEPI(感染症流行対策イノベーション連合)
パンデミックに備えるワクチン開発を支援する国際的な連合体。DIOSynVax に対し、ベータコロナウイルス向けワクチン開発の資金を過去に拠出している。

Innovate UK
英国政府の科学技術・イノベーション支援機関。今回の臨床試験に主たる資金を提供した。

【参考リンク】

University of Cambridge(ケンブリッジ大学)(外部)
本研究を主導した英国の大学。元記事の発信元で、研究の科学責任者ヒーニー教授が所属する。

DIOSynVax(外部)
2017年にケンブリッジ大学から設立されたスピンアウト企業。AIによる抗原設計でワクチンを開発する。

University of Southampton(サウサンプトン大学)(外部)
試験の主任研究者ファウスト教授が所属する大学。NIHRの臨床研究施設を通じて試験に参画した。

NIHR(National Institute for Health and Care Research)(外部)
英国の医療研究を支える公的機関。試験を実施したサウサンプトン・ケンブリッジ両施設を運営する。

University Hospital Southampton NHS Foundation Trust(外部)
試験のスポンサーを務めた英国のNHS基幹病院である。

Innovate UK(外部)
英国政府のイノベーション支援機関。本試験の主たる資金提供元である。

CEPI(Coalition for Epidemic Preparedness Innovations)(外部)
パンデミック対策ワクチン開発を支援する国際連合。DIOSynVaxへの過去の出資元として記事の背景に関わる。

Journal of Infection(外部)
研究成果が掲載された査読付き医学誌。論文DOIは 10.1016/j.jinf.2026.106759 である。

PharmaJet(外部)
今回の針なし投与に用いられた「Tropis」を含む、ジェット式注射デバイスを開発する企業。

【参考動画】

【参考記事】

AI-designed ‘universal vaccine’ candidate passes first human trial(Open Access Government)(外部)
39名が4つの用量群に分けられ0日目と28日目に投与、56日目に抗体応答を評価したと報じる。

A Phase I, Needle Free, Dose Escalation Clinical Trial of pEVAC-PS, a Candidate Pan-Sarbecovirus Vaccine(SSRN)(外部)
用量・投与日・主要評価項目・既存免疫の影響などを記す論文要旨の一次情報である。

Cambridge vaccine expert in $42million partnership to develop ‘future-proofed’ coronavirus vaccines(University of Cambridge)(外部)
2022年にDIOSynVaxがCEPIから最大4200万ドルの出資を受けた経緯を伝える一次情報。

CEPI and DIOSynVax partner in quest to develop broadly protective Betacoronavirus vaccine(CEPI)(外部)
4200万ドルの出資がCEPIの2億ドル規模プログラムの一環であると説明する公式発表。

AI-designed universal coronavirus vaccine passes first human trial(ScienceDaily)(外部)
論文の著者・書誌情報やDIOSynVaxの設立経緯、開発パイプラインを整理した記事。

A phase I, needle free, dose escalation clinical trial of pEVAC-PS(PubMed)(外部)
著者・所属・掲載号・DOIを確認できる査読論文の書誌情報の一次情報である。

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【編集部後記】

「未来のウイルス」という、まだ姿のない相手に先回りする――今回の試験が示したのは、技術そのものの新しさだけではなく、私たちが何を「成功」と呼ぶのかという問いの組み替えでもあったように思います。安全性が確認された第I相は、長い道のりの出発点にすぎません。だからこそ、過度に煽らず、けれど可能性を見くびらず、その歩みを丁寧に追い続けたいと考えています。次の第II相がどんな景色を見せてくれるのか、みなさんと一緒に見届けていけたら幸いです。

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